読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

「資本主義から市民主義へ」(ちくま学芸文庫)の内容など

 

f:id:kinnikuman01:20211114133536j:image今回ご紹介するのは、経済学者の岩井克人さんと、評論家の三浦雅士さんとの対話形式で綴られる、「資本主義から市民主義へ」(ちくま学芸文庫)です。

人間社会を形成する「貨幣、法、言語」について興味深い議論が展開されています。特に、岩井さんの「貨幣」や「資本主義社会」についての洞察は非常に鋭いもので、読んでいくうちにどんどん引き込まれます。

内容について、一部ご紹介します。

 

【内容】

〇自己循環論法としての「貨幣、法、言語」

本書では、人間社会を存在たらしめている「貨幣、法、言語」の持つ本来的な価値はどのような点に求められるのか、という点について、非常に興味深い議論が展開されています。

このような議論は数百年前から存在しており、学説上も対立がありました。

①貨幣(貨幣商品説VS貨幣法制説)

貨幣商品説・・貨幣はもともと商品として価値を持っていたが、貨幣として使われ始め、貨幣としても価値をもつようになった。

貨幣法制説・・貨幣は、共同体国家、王の権威、法律で決められたから、価値を持つに至った。

 

②法(自然法論VS法実証主義

自然法論・・法とは、道徳や社会的正義の現れである。(グロティウス、啓蒙主義者など)

実証主義・・法とは、王からの命令である。(ウォーラーステインベンサムなど)

 

③言語(記述主義VS反記述主義)

記述主義・・言葉とはそれが意味する事物の写像である(前期ウィトゲンシュタイン

反記述主義・・言葉とは、共同体における命令儀式によって意図的に事物と言葉がむずびつけられたものである。

 

しかし、岩井さんは、これらは一方の因果関係を抽出して述べているに過ぎず、それぞれの価値の本質には迫ることができていないと述べます。

例えば、貨幣の価値の本質は「それが皆に貨幣として使われているから」という自己循環論法に支えられているのだと岩井さんは主張されています。

貨幣や法、言語は自然から与えられたものでもなく、人為的に作り上げられたものでもなく、その中間的な性質を持つ、と岩井さんは言います。

非常に興味深い論点です。例えば、言語を例にとってみると非常にわかりやすいと思います。

言語(母語)は、自然に習得したものであると我々は認識しておりますが、よくよく考えてみると非常に不思議なものです。ヒトは全ての言語を操れるような状態で生まれてくる、という意味において、言語とは、ヒトの遺伝子にプログラムされた本能であると言えると思います。しかし、本能だけでは説明できない部分ももちろんあります。ヒトは自動的に言語を話せるように成長する訳ではありません。家族が話している言語を聞いて、表現を学ぶ必要があります。また、方言など、地域的な影響も大きく存在します。

そういった意味で、岩井さんは、貨幣、言語、法などは所与のものでも、完全に人工的なものとも言い難い、超越的な性格を持ち合わせているとおっしゃっています。

 

〇貨幣のもつ性質

岩井さんは、貨幣には、投機的性質があるということも仰っています。

ヒトが貨幣を持つ理由は、食べ物や衣服などのように、それ自体を欲するからではありません。将来において、何か役立つものを買ったりできるからです。この、人々が貨幣を欲する理由は確かに投機的といえます。

また、投機的性質を抱えるが故、常に不安定性を持ち合わせているということも指摘しています。

つまり、人々があまり貨幣に価値を感じなくなれば、モノが不足してモノの値段が吊り上がり、ハイパーインフレーションが引き起こされます。人々が貨幣に価値を感じ、モノをあまり買わなくなれば恐慌となります。

貨幣には常に不安定性がつきまといます。

また、貨幣は人間に自由をもたらしたと主張されています。

まず、第一に貨幣には「使わない自由」があるからです。これがもし食べ物であればどうでしょうか。有効な保存方法があれば別ですが、通常は腐るまでに食べてしまう必要があります。しかし、貨幣であれば、それを今すぐ使うのではなく、将来のためにとっておくという選択が可能です。

第二に、物々交換などと違い、誰とでも取引可能というメリットもあります。物々交換の場合、例えばこちらがリンゴを持っていたとして、バナナが欲しかったとしても、相手がそれを持っているかは分かりません。そのため、必然的に顔を見知った間柄での取引となり、通常、狭いコミュニティの中でのみしか成立しません。

そのため、貨幣の所有は人間に初めて「自由」をもたらしたということが本書では述べられています。面白い視点です。

 

〇資本主義とはどんなシステムか

資本主義はこの数百年の間に様々な変遷を経ながら発展を遂げてきました。

岩井克人さんは、大胆にも、資本主義について、「差異によって利潤を生みだすという純粋に形式的なシステム」であると述べています。そして、極めて形式的だからこそ普遍性があり、世界中に広まったということを指摘されています。

 

資本主義というと、アダム=スミスの「神の見えざる手」ではないですが、経済学の素人の私にとっては、何か、高尚な理屈に基づいて動いているものと認識していた私にとって、この部分は新鮮な驚きでした。

つまり、資本主義が世界中で採用されているのは、何か、高尚な理論だとか、優れているからではなく、純粋に形式的な理論であることに過ぎないというお話です。

 

本書でも指摘されていますが、この部分について、マルクスはある誤謬に陥ってしまいました。それは、経済活動によって得られる利潤=労働の成果物と捉える考え方(労働価値説)です。この考え方によれば、価値の源泉=労働となり、マルクス風に言うと、資本家は労働者の生き血を啜る吸血鬼ということになります。

この考え方は、産業革命当時は妥当性があったかもしれませんが、資本家が設備投資をし、あとは労働者に労働させさえすれば十分に利益を上げることが出来た当時と現代とは状況が違うことに注意しなければなりません。

 

つまり、当時は、農村部に膨大な労働人口を利用して利潤を得ていた、つまり、都市部と農村部の労働人口から利益を生み出していたにすぎないのですが、それを労働こそ最大の価値であると固定化させてしまったことにこそマルクス最大の誤謬があったのです。

 

資本主義の歴史の変遷

本書では、資本主義の歴史変遷についても解説がなされています。

資本主義は商人資本主義→産業資本主義(第一次産業革命)→第二次産業革命→ポスト産業主義と徐々に形を変えてきました。

 

①商業資本主義

遠隔地貿易など。大航海時代などには既にその源泉があった。遠隔地から仕入れたものを高く売ることによって、利益を得る形態。

 

②産業資本主義

大工場で大量生産をすれば自動的に利益が得られるシステム。

設備投資、農村から安い労働者をたくさん雇うことが利潤を得るために必要。

 

第二次産業革命

機械設備が膨大となる。重化学工業、石油コンビナート、造船所など。

赤字を生まないために、生産工程、材料調達、マーケティングなど、専門的に分業して行う必要が出てくる。機械的設備に適応した能力・知識が必要となる。(組織特殊的人的資産)

 

④ポスト産業資本主義

IT革命やグローバル化、資本が低賃金労働者を求めて外国へ進出する。外国から労働者の流入も起こる。差異性を意図的に創り出す必要がある。他社製品とは違う商品を生み出し、それに価値を付与する。企業同士の競争が加速する。

 

また、面白いことに、現在の「日本的経営」は、未だに第二次産業革命当時に依拠しているといいます。

終身雇用、年功序列、会社別組合といったシステムは組織特殊的人的資産を育むうえでは有用な仕組みでしたが、今後、見直しが必要になってくるだろうと岩井さんは予測しています。

 

〇資本主義社会と倫理

最後に、資本主義社会には倫理が必然的に要請される、というポイントをご紹介します。

資本主義社会は無数の契約行為から成り立つという性質から、背信行為をしてはいけないとか、相手からお金をだまし取ってはいけない、などといった倫理性が必然的に要請されると岩井さんは指摘しています。

資本主義を支える倫理として岩井さんが注目しているのが、カントの倫理学です。

カントの説く倫理とは、「すべての人間を単に手段としてではなく、目的として扱え。」「あなたの行動の原理が、すべての人間にとっての普遍的な法として成立するよう行動せよ。」

という命令を特徴としています。

そして、岩井さんによれば、これは倫理の形式的な実定化であるが故に普遍性を持つと言います。

要するに、カントは倫理はなぜ価値があるのか、という問いに対して、倫理それ自体が目的だからであると答えており、貨幣、法、言語と同じような自己循環論法が根拠となっているのです。それゆえに普遍的な妥当性を持ちうるのだ、と岩井さんは仰っています。

また、本書のタイトルにもなっていますが、今後、資本主義でも国家でもない、NGONPOのような市民主義的な活動も重要になってくると対話の中では述べられています。

 

【感想など】

何となく手に取って読んでみた一冊でしたが、かなり深い内容でぐいぐいと引き込まれました。対話形式の本には何となく読むのが易しいイメージがありますが、岩井さんと三浦さんの対話のレベルが非常に高くて、読むのに苦労しました。

経済の話のみならず、話題は多岐にのぼっており、ヘーゲルウィトゲンシュタインマルクスデリダなど思想家たちも度々対話の中には登場します。

貨幣、法、言語などの価値は自己循環論法に支えられているという考え方はとても刺激的で、他にも応用が効きそうです。

今回、紹介しませんでしたが、法人を巡る議論もとても面白いです。法人論では、カントローヴィチ著、「二つの王の身体」も度々援用されながら、法人の「二つの身体」ということがテーマとされています。

また、最終的には倫理はカント倫理学に結実するだろうという予測も極めて大胆で面白いところです。個人的には、岩井克人さんは、経済学者というフレームを超えた、思想家であると思っています。(笑)

間違いなく、多くの人の知的好奇心を刺激してやまない本だと思います!おすすめです!!