読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

「ゾウの時間、ネズミの時間~サイズの生物学~」(中公新書)の要約・感想など

 

「ゾウの時間、ネズミの時間 ~サイズの生物学~」(中公文庫)



新年1冊目にご紹介するのは、「ゾウの時間、ネズミの時間」(中公文庫)です。

 

動物の身体のサイズによって、寿命や時間の流れる速さ、生息域や行動圏、基礎代謝など、生命それぞれにとっての時間、ライフスタイルなどが様々に異なります。

「自分がゾウ程の大きさであれば世界はどのように見えるだろう?あるいはネズミほどの動物だったら世界はどのように映るだろうか?」という風に考えてみたことはありますか?

 本書では生物学の研究を生かし、動物のサイズと時間や行動などを科学的に分析・検討、解説しており、私たちの知的好奇心を刺激してくれます。

 

年代問わずおすすめ出来る生物学の本です!!

 

本書の内容の概要をご紹介します!!

 

〇体重と時間の関係

・時間:体重の1/4乗に比例する。

→体重が16倍になると、時間は2倍になる。

 

・時間がかかるあらゆる生理的現象

心臓の拍動、血液の循環、異物を体外に排泄する時間

 

・哺乳類の心臓の拍動回数

一生に20億回。(動物のサイズに関わらず、不変。)

 拍動する回数はサイズに関わらず変わらないが、拍動するスピードはサイズによって大きく異なるため、物理的な時間で言えば、ゾウはネズミよりもずっと長生きする。

 

〇大きいことは良いことか?

 身体が大きいことのメリットは、環境に左右されず、自立性を保っていられるということである。

 まず、体温については、サイズの大きいものほど恒常性を保ちやすい。

 これは、風呂のお湯がコップの中のお湯と比べて冷めにくいのと同じ理屈である。サイズが大きいほど、寒い外気に接する表面積が小さくなるため、温度を保ちやすくなる。

 サイズが大きい動物ほど急激な温度変化にも耐えられる。恒温性に優れていると体温を常に高い状態で維持し、素早い運動が可能というメリットがある。

 また、恒温動物では、サイズが大きいものほど、恒温性を維持するためのエネルギーは少なくて済むため、結果的に省エネとなる。

 飢えにも強いというメリットもある。体重あたりのエネルギー消費量はサイズが大きい動物ほど小さくなるため、体重比では少ない食糧でも身体を維持できる。また、サイズが大きいと移動範囲も大きくなり、食糧を見つけ出しやすくなる。

 反対に、小さい動物は、恒温性を維持するために多くのエネルギーを必要とするため、身体の割にはたくさん食べる必要がある。 例えば、アメリカムシクイという小さな鳥は、30秒に1回の割合で昆虫を捕まえる。したがって、大きな動物ほど、食事に要する時間は少なくて済む。

 さらに、大きければ他の動物と比べて食糧が得られやすい。サバンナでの水場での優先順位はゾウ→サイ→カバ→シマウマ、、など身体が大きい順である。

 

 大きくなることには上記の様にメリットがたくさんあるため、かつては、生物は進化を経て巨大化していく、という説が唱えられた。(コープの法則

 しかし、現実には全ての動物が巨大化の道を歩んでいる訳ではなく、この説は現在否定されている。

 

〇大きいものと小さいもの

アフリカゾウの成獣。体重は最大で5~7トンに及ぶ。

 

トウキョウトガリネズミ。最小の哺乳類。



生物進化の歴史上、大きなものがいつも優位という訳ではない。進化はいつも小さいものからスタートする。

 小さな生物:一世代の寿命が短く、個体数も多いことから、短期間で新しいものが突然変異で生まれ出る可能性が高い。

 そのため、遺伝子の突然変異が起こりやすく、その中から環境の変化に対応できたものが生き残る可能性が高い。

 大きい生物は環境の変化には強いが、新しい生物、突然変異が生まれにくい。そのため、ひとたび克服出来ないような環境の変化に直面してしまうと、種全体が絶滅してしまう。

 小さな生物は捕食されやすい、体重比で多くの食料を必要とする、というデメリットはあるものの、全体の数が多いほか、必要とする食糧の絶対数は少なくて済むため、種全体の生存確率は悪くない。また、冬季などは冬眠などで体温を下げる動物も多く、エネルギーの節約にも優れる。(身体が小さいと体温を保ちにくいため、冬眠の際にはより効率的に体温を下げられる。)

 

〇島の規則

 島に隔離された動物はどうなるのか。生物学的にはサイズについて、一定の規則性が存在する。(島の規則

 具体的には、

 小さなサイズの者:小さくなる

 大きなサイズの者:大きくなる

 という規則性である。

 

ゾウで言えば、島のゾウは大陸にいるゾウよりも身体が小さくなる。

これには、島という環境が関係していることが考えられる。

 

 島は一般的に捕食者の少ない環境である。一匹の肉食獣を養うためには、餌として100匹の草食獣がいなければならない。島は狭いため、例えば草の総量からして10匹分の草食獣しか養えないとすると、肉食獣は餌不足でいきていけなくなってしまう。

 島には捕食者が少ないため、ゾウは小さくなり、逆にネズミなどは巨大化する。

 また、動物のサイズについて、大きい、または小さいことには以下の様なメリットがある。

 

 ゾウが大きい理由:捕食者に襲われにくいから。

 ネズミが小さい理由:物陰などに隠れ、捕食者から見つかりにくいから。

 

したがって、ゾウは捕食者に襲われないため、(無理をしながら)最大限大きくなっている。ネズミも捕食者から隠れるため、(無理をしながら)最大限小さくなっていると言える。

 

捕食者がいなくなった途端、両者ともに中間的な大きさに留まっていくと考えられている。

 

〇標準代謝

 「食べる」とは- 食物を燃焼させ、エネルギーを取り出すこと。(ゆっくりとした酸化反応を起こし、ゆっくり酸化を起こす。)

 「呼吸」とは-身体の中に酸素を取り込み、食物を酸化させる。酸化の過程で発生するエネルギーをATPとして蓄える。

 

酸素をどれだけ使ったかはエネルギー消費量のよい目安になる。酸素1リットルあたり20.1キロジュールのATPが得られる。

 標準代謝量:時間あたり、どれだけ酸素を消費したか(代謝率)にして表す。標準代謝量→体重の3/4乗に比例する。

 即ち、体重が2倍になっても、エネルギーの消費量は1.68倍にしか増えないということを意味する。体重が100倍ならば、エネルギー消費量は32倍、1000倍になれば178倍となる。

 これは、大きな動物ほど体重の割にエネルギーを消費しないということを意味する。

 

ベルクマンの法則

 恒温動物では、同じ種類で比べると、寒い地方に棲む個体ほど身体が大きくなる。

 (=ベルクマンの法則)体重が大きいと、体重あたりの表面積が小さいため、熱が逃げる割合が少ない。

 例:熱帯地域に生息するベンガルトラとシベリアに生息するシベリアトラ。

 

インドなどの熱帯の森林に生息するベンガルトラ

シベリアトラ。ネコ科最大種。体長約2.5メートル。体重は300㎏に達する。

 

マレーグマ。全てのクマの中で最小。アジアの熱帯に生息。体重は65~80㎏

 

ホッキョクグマ。クマ科最大種。体重は800㎏に達する。



恒温動物の代謝量は変温動物の約29.3倍である。恒温動物は何もしていなくても、変温動物の30倍ものエネルギーを消費する。

 

〇食事量

 食べる量は、体重の0.7~0.8乗に比例する。体重が増えるほどには食べる量は増えない。

 ・食うもののサイズ、食われるもののサイズ

  陸上動物は自分に見合ったサイズの獲物を狙う。餌のサイズは捕食者のサイズに比例する。

  大きい動物・・自分の体重の1/10の大きさの餌を食べる。

  小さい動物・・自分の体重の1/500の大きさの餌を食べる。

 ※小さい動物は獲物を丸飲みにすることが多いため、より小さなものを狙う。

 

〇動物の成長効率

 恒温動物は食べたエネルギーのうち、77%が生命を維持(呼吸や体温の維持等)するために必要となり、21%が糞として排泄される。成長に充てることの出来るエネルギーは僅か2.5%。

 

変温動物では、49%が生命維持のために使われ、30%が排泄、21%が成長に使われる。

 

成長速度・成長効率という点では変温動物の方が圧倒的にコスパが良い。

 

〇循環器系・呼吸器系

 動物のサイズが巨大になるにつれ、巨大な循環器、呼吸器を備える必要がある。

  サイズが小さければ栄養や酸素は拡散により広がっていくため、循環器や呼吸器を備える必要はない。(極小の微生物は臓器を備えていない。)

 サイズが大きくなると、体表面からの距離が長くなるため、拡散に頼っていては酸素や栄養素の運搬に時間がかかり過ぎる。酸素の運搬、栄養素の体内濃度を均一に保つ必要があるため、循環器系が必要となる。また、膨大なサイズが必要となるため、酸素を取り込むための呼吸器系が必要。かつ呼吸器系の表面積を広げる必要がある。

 陸上動物の肺と魚類の鰓は同じ仕組み。鰓は表面積を広げ、内側には血管が走り、酸素を取り込んでいる。肺は臓器として、肺胞という形で表面積を広げ、周りには血管が走り、酸素を取り込んでいる。

 

〇動物の時間

 動物にとっての「時間」は心臓の拍動スピードや呼吸や消化・吸収のスピードなど、様々な尺度で測ることが出来る。動物の時間は、体重の1/4乗、もしくは体長の3/4乗に比例することが研究結果により分かっている。

 重い、もしくは大きい動物ほど時間はゆっくりと流れているということになる。説得力のある説明は未だなされていないが、この事実は、「時間」というものが必ずしも不変・絶対的なものではなく、動物によっても異なるという事実を示している。

 

〇感想など

 動物はそれぞれ、特有の感覚器官を持ち、地球上を生きています。獲物の熱を感知出来るヘビや超音波を利用して狩りを行うイルカ、コウモリ。逆に低周波を利用してコミュニケーションを取るクジラやゾウ。磁力を感知する鳥類等。

 本書は表題の通りサイズに注目し、サイズによる「燃費」や「時間間隔」など興味深いデータや研究結果を豊富に紹介されており、大変興味深い内容でした。

 地球上の動物がそれぞれの戦略を持って進化の過程で巨大化したり、逆に小さくなってきたと考えると面白いですね。

 人間について考えると、サイズが大きい動物であるにも関わらず、圧倒的に数が多いということを考えると、自然の中では非常に例外的な存在であると言えそうです。

 動物、生物に少しでも興味がある方にとっては非常におすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

教養として学んでおきたいニーチェ(マイナビ新書)岡本裕一朗著など

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教養として学んでおきたいニーチェ 岡本裕一朗著

 

今回ご紹介するのは、岡本裕一朗さんの「教養として学んでおきたいニーチェ」です。

本書は、単なるニーチェについての解説だけでなく、著者自身のニーチェに対する解釈も示されています。ニーチェの本を直接読んでも、すぐに理解するのは難しいです。

本書はポイントを絞って、わかりやすく、明快に解説されており、ニーチェを読むうえでかなり助けとなる一冊であると思います。

本書の内容の一部をご紹介します。

ニーチェのどこに魅力があるのか

 フリードリヒ・ニーチェは19世紀ごろ、ニヒリズムの到来を予言した哲学者で、現在でも大きな影響を及ぼし続けています。

 主張は極端な印象があり、奇人・変人という印象を持たれていますが、日本・世界でも人気のある哲学者で、その人気は衰えていません。

 しかも、わたしたちは今や、知らず知らずのうちに、ニーチェ的に物事を考えています。

 ニーチェは、次の2世紀(20世紀)はニヒリズムの時代であると予言しましたが、私たちはまさにニヒリズムの時代のど真ん中にいます。

かつては、真・善・美について、すべての人が同じ基準を持っているものと考えられていました。

 しかし、近年は多様性が唱えられ、相対主義が流行しています。そういった意味で、

ニーチェの思想を学ぶことは、全く未知のことを学ぶことでなく、自分自身をはっきりと自覚することに繋がります。

 

ニーチェの生涯

 ニーチェは1844年にドイツで生まれました。もともとは古代ギリシャ・ラテンなどの古典文学を専門としていて、古典文学の教授に認められ、24歳という若さでバーゼル大学員外教授へ就任、翌年には正教授に就任します。

 デビュー作は悲劇の誕生という古典文献学の本でしたが、この本を自分を抜擢してくれた教授に送ると、それが酷評され、学会からも追放状態となってしまいます。

 その後、35歳で退職し、昏倒してしまう45歳になるまで、精力的に著作活動を行いました。45歳でイタリアのトリノで昏倒し、錯乱状態となり、55歳という若さで肺炎となり死去します。

 有名な「ツァラトゥストラ」、「曙光」、「権力への意志」、「この人を見よ」といった作品は35歳~10年間の間に書かれたものです。

 

〇仮面を愛する人物としてのニーチェ

 ニーチェ「すべての精神は仮面を必要とする」という言葉を残しています。

ニーチェは、心理、知識の多面性、パースペクティブ(遠近法)を強調し、その場その場での「仮面」を愛するということを大切にしています。

 ニーチェにとって、人はその場その場において仮面を変えているに過ぎず、ニーチェにとって、キャラ変という様なことは当たり前です。本当の自分なんていう発想はプラトン主義に過ぎないと言って批判します。

 

ニーチェの哲学を無意識にわれわれは受けいれている

 「この世に絶対に良いもの、絶対に正しいもの、絶対に美しいものはあるか?」

と聞かれて、ニーチェは「そんなものは存在しない」と返します。

 現代の人にとって、「人にはそれぞれの美しさの基準、正しさがあり絶対的なものは存在しない」という考えは受け入れやすいと思いますが、これを初めて理論的な形で打ち出したのがニーチェです。

 

ニヒリズム

 ニヒリズムという言葉はニーチェ以前もありましたが、それを「絶対的な価値基準の喪失」という形で示したのはニーチェが初めてです。

 ニヒリズムの時代においてニーチェは、「何のために生きているのか」という問いに対して、「生きる目的や意味などはない」と答えます。

 当初、ニーチェはショーペン=ハウエルの影響から、生きること=苦しみであると定義し、その苦しみを芸術によって一時的に忘却するという解決策を考えていました。後にその方法はロマン主義であると批判し、生きること=苦しみでなく、生きること=同じことが永遠に繰り返される(永遠回帰と考えるようになります。

 この、意味がなく、同じことの繰り返しである永遠回帰の中で、打ち出したモデルが超人です。ニーチェは力の増大を重視します。永遠回帰(退屈)の中で、極限まで力の増大を極限させたのが超人というモデルです。

 

ニーチェの道徳観

 ニーチェは、道徳を弱者が作り出したものであると批判しました。力で対抗できないため、弱者が集まり、強者を引きずり下ろそうとしてルサンチマン(妬み)を持った人間が自己正当化を行った結果生まれたのが「道徳」であるとしています。

 ニーチェは、道徳による自己正当化を最も嫌います。力と力の関係で勝負すべきなのに、力以外のものに訴えて、力ある者を引きずりおろそうとすることは自らを欺く許しがたい行為であると非難します。

 力で対抗すべきなのに、それを偽り、自分には力がないと言い、力ある人を批判しながら、その裏でみんなで寄り集まって支配者になろうとする態度を批判します。(それをまた、隠れた権力の意志であるとニーチェは考えます、)

 生物界のすべてのもの=力の増大を目指す、というのがニーチェの生命観です。そして、それを全面的に肯定しようとする発想が、超人に結実します。

 力への意志、これは誰もが持っている。それを偽るからよくない、もっと自分自身を誠実に打ち出すべきだ、というのがニーチェの主張です。

 

〇 パロディとしてのニーチェ

 ニーチェは独自の考えを打ち出してきたというよりは、元ネタを引き継ぎ、パロディにすることで「遊び」や「笑い」を生み出そうとしてきました。

 ルサンチマンはフランス語ですが、元々は哲学者のキルケゴールが「妬み」という意味で使用しました。有名な「神の死」も18世紀の哲学者の間でしばしば用いられていた言葉であり、「超人」古代ギリシャの時代からある言葉で、ゲーテファウストの中でも引用されています。

 

〇神の死とニヒリズム

 ニーチェは「神の死」について、キリスト教の髪を信仰することの他、絶対的な真理に対する私たちの信頼が消え去ってしまうことを強調して、「神の死」という言葉を使います。 

 かつては、何らかの悪事に対して、何故それが許されないのか、と問われたとき、「神が許さないから」「聖典に書かれているから」等々、それが禁止されている理由については神の保証がありました。しかし、その神の保証がなくなってしまうと、何が許されて何が許されないのか、ということについて、合理的に説明する根拠はなくなってしまいます。そういった世界こそがニーチェの言うニヒリズムの世界です。

 神が死んだのであれば、人間が神に成り代わって基準を定めなければなりませんが、

多数決で決めたとしても、それは絶対的な真理にはなりません。

 また、生きる目的や理由なども、それを合理的に説明できる理由はない、というのがニーチェが言うニヒリズムの世界です。

 こうしたニヒリズムの世界で生きる方法としてニーチェが考えたのが永遠回帰の思想、そして超人です。

 

永遠回帰と超人

 生きる目的や理由がないのだとして、では死ぬのか、と言えばそうはなりません。この無意味な毎日を生きていかなければなりません。そのために考えたニーチェの世界観が永遠回帰(全ては同じことの繰り返し)です。すなわち、毎日同じことが繰り返さえるだけの退屈な世界を肯定し、「それならばもう一度」と言えるか。退屈な毎日をもう一度繰り返すとしても、「もう一度やってこい」と言えるか。そのようにニヒリズムの世界の中にあって、生きる意味を肯定できる人物こそ、ニーチェが考えたモデルとしての超人です。

 

〇感想など

 近代の西洋を代表する哲学者、ニーチェについて、平易な言葉で分かりやすく思想のポイントが解説されており、ニーチェの入門書として素晴らしい一冊であると思います。

 ニーチェは神の死、超人、ニヒリズムといった言葉について、パロディとして使っていた、という解説をしている本はあまり多くはないと思います。ニーチェが独自のアイディアとしてではなく、元ネタから解釈を広げ、パロディとしてそれらの言葉を使っていたことを知ると、ニーチェを見る目が変わってきます。

 また、ニーチェの思想には極端なものも多いことから、ニーチェの思想は誤解されやすい一面がありますが、ニーチェの生涯やバックグラウンドを知った上で作品を実際に読んでみると、解釈はまた違ったものになると思います。

 本書で解説されている通り、ニーチェは古典文献学者としてキャリアをスタートさせており、ニーチェにとって理想の社会は古代ギリシャであり、ニーチェにとっての「強者」とは、古代世界の英雄を指していたと言われています。ニーチェは、既存の権力を擁護するために弱者を貶めようとした訳ではないというのは認識しておくべきポイントだと思います。

 ニーチェといえば、永遠回帰超人ですが、これまでと全く同じことが繰り返される=永遠回帰を受け入れ、生きる意味を肯定し、常に力を増大させようとする存在=超人を目指すということは相当に難しいことであると思いますし、ニーチェ自身もそれを認識していた様です。「ツァラトゥストラ」を読むと、超人を目指すことがいかに困難なことであるかということが何度も語られています。

 生前はあまり本も売れず、評価されなかったニーチェですが、それは彼の思想があまりに時代の先を行き過ぎていたためだと思われます。ニーチェの予言通り、ニヒリズムの時代が到来しています。拠り所とすべき絶対的な価値観が失われてしまった中で、どのように生きていくべきか。多くの人がそのような悩みに直面しているからこそ、ニーチェは世界中で愛されている哲学者なのだと思います。

 

 

グレート・ギャッツビーの感想など(光文社古典新訳文庫)

Images of フランシス・スコット - JapaneseClass.jp

【小説】グレート・ギャッツビーの紹介

今回は、「英語で書かれた20世紀最高の小説」で第2位を獲得(モダンライブラリー発表)したグレート・ギャッツビーを紹介します。スコット・フィッツ・ジェラルドの代表作です。

 

小説家の村上春樹さんも「一番好きな小説」として、この「グレート・ギャッツビー」を挙げています。

 

自分も読んでみましたが、まさに20世紀最高の作品と呼ぶに相応しい作品でした!!

是非とも多くの人に読んでもらいたい作品です!!

 

ストーリーは読みながら楽しんでもらいたいため、今回はネタバレはせずにあらすじ・見どころをご紹介します。

 

物語のあらすじ

物語の舞台は、激動の1920年代のニューヨーク。物語の語り手は中西部で三代続く名門、キャラウェイ家に生まれた、ニック・キャラウェイ。ニューヨークの証券会社に勤め、ロングアイランドのウェストエッグという街に住んでいた。

ニックの近くにはギャッツビーという男が豪邸に住んでいた。ギャッツビーは夜ごと派手なパーティーを開催していた。

ある日、ニックはギャッツビーから招待を受け、パーティーに参加し、次第にギャッツビーと親しい関係になっていく。

ニックはギャッツビーと関わるうち、彼の意外な過去と長年の想いを知ることになった。

グレートギャッツビーの登場人物

・ニック・キャラウェイ

物語の語り手。ロングアイランドの住人。ニューヨークの証券会社に勤めている。ギャッツビーの隣人。

・ジェイ・ギャッツビー

謎が多い富豪の青年。戦争に従軍していた過去もある。ウェストエッグにある豪邸で連日人を集めてパーティをしている。

・デイジーブキャナン

ニックの大学時代の友人、美人で奔放な性格。トム・ブキャナンの妻。裕福な家の生まれで高級住宅街のイーストエッグに住んでいる。

・トム・ブキャナン

デイジーの夫。ニックとは大学時代の友人。大学時代はラグビーもやっていて体格が良い。態度は横柄で豪胆な性格。

・ジョーダン・ベイカ

デイジーの昔からの友人で、プロゴルファー。ニックと仲良くなる。

・マートル・ウィルソン

トムの愛人。

ジョージ・ウィルソン

マートルの夫。「灰の谷」で自動車修理屋を営んでいる。

・マイヤー・ウルフシャイム

ギャッツビーのビジネスパートナー

 

物語の見どころ

~ギャッツビーと登場人物~

謎多き青年、ギャッツビーは非常に魅力ある人物で、読んでいくうちにどんどんと引き込まれます。ギャッツビーの過去は特に謎に包まれており、風変りな噂も絶えません。

例えば、パーティーではギャッツビーについてしばしば、「過去に人を殺したことがある」「戦争でスパイをしていた」など参加者から噂をされています。

ギャッツビーの過去、そして現在の目的といったところが物語の見どころでしょう。

小説の冒頭で物語の語り手、ニック・キャラウェイはギャッツビーについて次のように述べています。

もし人間のありようが外からでも見える行動の連鎖でわかるなら、ギャッツビーは華麗なる人物だったと言えよう。好機を見逃さない感度があった。一万マイル先の揺れをとらえる地震計に近いような高感度だったかもしれない。

だが、そういう感性は、よく「芸術家タイプ」として持ち上げられる、やわな感受性とは別物だ。どこまでも絶望しない才能なのである。精神がロマンチックにできていた。あんな男には会ったことがないし、これからまた会うとも思われない。

そのほかの登場人物も非常に個性が際立っていて魅力的です。人物像の描写力も見事で、まるでその人物が目の前に姿を現したかのように鮮明に浮かんできます。

デイジーやトムといった登場人物も非常に魅力のあるキャラクターで、作品に深みをもたらす存在です。

 

~情景描写・文章力~

フィッツ・ジェラルドの類まれな文章力・情景描写力が本書をより一層魅力あるものにしています。

名文の一部をご紹介しましょう。

太陽が降りそそぎ、新緑が-まるで早回し映像のように-どっと勢いを増す。

黄昏の大都会という魔法の国では、やりきれない淋しさを覚えることもあった。いや、私だけではあるまい。若い勤め人が、ウィンドーのならぶ街路をぶらついて、一人でレストランへ行くまでの時間をつぶす。宵闇の迫る街で、いい若い者が切ないほど貴重な夜の時間を無駄にする。

黄水仙の香りがはじけ、サンザシとプラムが匂い立ち、パンジーが淡い金色の気を振りまく。

大きな橋を渡る。橋梁を突き抜ける日射しが、行きかう車をちらちら光らせ、川の向こうには大都会が、白く、うずたかく、角砂糖のように立ち上がる。

まるで文章の魔術師の様なフィッツ・ジェラルドの文章力には舌を巻きます。

ニューヨークの摩天楼、高級住宅街の情景が目に浮かんでくるようです。

奥深いストーリーとフィッツジェラルドの文章力を味わいたい人は是非グレート・ギャッツビーを読んでみてください!!

 

 

 

 

「自分の中に毒を持て」岡本太郎著<新装版>(青春出版社)

「自分の中に毒を持て」岡本太郎

自分の中に毒を持て<新装版>-20200505 | 道新ブックガイド

岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」は私自身が読んで衝撃を受けた一冊です。

記された一文一文から、とにかく、岡本太郎さんのエネルギーがほとばしっています。

人生を賭けて芸術と向き合った岡本太郎さんの言葉はとにかく強烈です。

岡本太郎について

岡本太郎氏は、1911年生まれの日本の芸術家で、1930年~1940年まで、

フランスで過ごし、シュルレアリスム運動にも参加しています。フランス滞在時代には美術団体アプストラクシオン・クレアシオン協会のメンバーにも加わります。思想家のバタイユとも親交がありました。

ドイツのパリ侵攻をきっかけに日本に戻り、兵役を経て、中国戦線にも出征しています。やがて、1970年に大阪万博が開催されることが決まると、有名な「太陽の塔」を作成します。1970年代以降にはテレビ番組にも多数出演し、「芸術は爆発だ」などのフレーズで人気を博しました。

 

岡本太郎さんは18歳で単身パリに渡り、25歳であえて危険な道を選んで生きる決意をしたとのことです。(本書でも記載があります。)それからというもの、当時評価されるような絵とは全く正反対の絵を描くようになったといいます。(原色をキャンパスに書きなぐるような作品を数多く残しています。)

 

ここからは、本書における岡本太郎氏の刺激的な言葉をご紹介します。

〇「自分の中に毒をもて」

~迷ったら危険な道に賭けるんだ~

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれ、身動きがとれなくなる。(P11)

人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。それには心身とも無一文、無条件でなければならない。

捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。

今までの自分なんか蹴とばしてやる。そのつもりでちょうどいい。(P11)

安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。たとえ、結果が思うようにいかなくったっていい。結果が悪くても、自分は筋を貫いたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。(P14)

人間にとって成功とは一体何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうかではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それだけで爽やかだ。(P29)

ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶようにしている。(P31)

結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。むしろまずくいった方が面白いと考えて、自分の運命を賭けていけば、パッとひらくじゃないか。(P33)

今日の社会では、、(中略)システムの中で安全に生活することばかりを考え、危険に体当たりして生きがいを貫こうとするのは稀である。自分を大事にしようとするから逆に生きがいを失ってしまうのだ。(P36~P37)

~一度死んだ人間になれ~

か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。また、他人の目だけではなく、自分の目を気にしないで、萎縮せず、ありのままに生きていければいい。(P39)

ちょっとでも情熱を感じること、惹かれることを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいがわき起こってくるんだ。情熱というものは「何を」なんて条件付きで出てくるもんじゃない。無条件なんだ。(P40)

マイナスの方に賭けてみるんだ。自分で駄目だろうと思うことをやってみること。それはもちろん危険だ。失敗に賭けるんだ。駄目だと思うことをやった方が情熱がわいてくる。(P61)

まったく自信がなくたっていい。なければなおのこと、死にものぐるいでぶつかっていけば、情熱や意志がわき起こってくる。(P69)

本当に生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに、平気で生きることだ。スポーツも歌も会話も全て下手なら、むしろ下手こといいじゃないか。もっともっと下手にやろうと決心すれば、かえって人生が面白くなるかもしれない。(P80)

ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。ぼくはその代わりに、「歓喜」という言葉を使う。危険なこと、辛いこと、つまり死と対峙し対決するとき、人間は燃え上がる。(P84)

行き詰まった方が面白い。だから、それを突破してやろうと挑むんだ。もし行き詰らないでいたら、ちっとも面白くない。(P85)

~出る釘になれ~

出る釘になれ。痛みは伴うが人生は充実する。(P112)

自由に、明朗に、あたりを気にしないで、のびのびと発言し、行動する。それは確かに難しい。苦痛だが、苦痛であればあるほど、たくましく挑み、乗り越え、自己を打ち出さなくてはならない。(P141)

〇感想など

 岡本太郎さんの文章を引用する形で一部ご紹介させていただきましたが、冒頭から非常に刺激的な言葉が並んでおり、衝撃を受けました。「人生は積み減らすべきだ」、「駄目だと思った方に賭けろ」、「マイナスへと自分を突き落とせ」、「出る釘になれ」といった岡本太郎さんの言葉は世間の常識とは真逆の方向をいっていて非常に刺激的です。

 本書を読み通すだけでも、岡本太郎さんは、自分の生命を爆発させ、燃焼させて生きた芸術家だったのだろうと、その激しい人生を窺い知ることが出来ます。「死」や辛いことに対峙したときにこそ、人間は歓喜するのだ、という岡本太郎さんの思想は強烈ですし、どこかニーチェの思想に近いものを感じます。

 ニーチェは、つらいことや楽しいことが永遠にループする=永遠回帰を肯定することこそ、究極の生の肯定であると述べていますが、岡本太郎さんの思想は、困難に直面した時こそ歓喜する、というものなので、それよりも強烈かもしれません。

 自分に岡本太郎さんと同じ生き方が出来るか、と言えば難しいかもしれませんが、「下手でもかまわない。(むしろ下手な方がいい。)情熱を感じる方向へ突き進んでいけ。」という岡本太郎さんの言葉には勇気をもらえます。

 何か挑戦したいことがあるけど勇気が出ない、という人にはとてもお勧めの本であると思います。

 

 

「モモ」ミヒャエル・エンデ著(岩波少年文庫)のあらすじ、感想など

「モモ」(ミヒャエル・エンデ著)

モモは、「時間」をテーマにした児童文学で、大人にこそ読んでほしい内容となっています。「豊かな時間」について考える機会を与えてくれる名作であると思います。

時間どろぼうと、盗まれた時間を人間に返してくれた不思議な少女、「モモ」の物語

1947年にドイツ児童文学賞を受賞した作品です。時間どろぼうに奪われた人間の時間を取り戻す冒険ファンタジーです。児童文学ですが、人間本来の生き方を忘れてしまっている現代人に対して警鐘を鳴らす内容で、大人が読んでも楽しめる作品です。

不思議な少女、「モモ」と時間どろぼう=灰色の男たちとの攻防が見どころです。

登場人物

モモ・・都会の外れにある、円形劇場に住み着いた、もじゃもじゃ頭が特徴の不思議な少女

ベッポ・・道路掃除夫として働く老人。自分の仕事に愛着を持っている。今、この瞬間を大切に生きており、私利私欲は無い。周囲から変人であると思われている。

ジジ・・観光ガイドとして働く若者。口が達者で常に冗談を言っている。お金持ち、有名人になりたいと思っている。空想の冒険物語を人に聞かせるのが好き。

灰色の男たち・・人間の時間を奪うことで生きている「時間どろぼう」。言葉巧みに人々に対して時間を節約して生きるように迫る。

マイスター・ホラ・・時間を司る存在。「時間の国」に住んでいる。普段は老人の様な姿をしている。

カシオペイア・・マイスター・ホラの相棒のカメ。時間の国へ行く術を知っている。前もって将来起こることを予見できる。

 

あらすじ

「モモ」のあらすじを紹介します。

とてもふしぎな、それでいて日常的な一つの秘密があります。すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。

〇不思議な少女、モモ

物語の主人公は、都会の外れにある円形劇場跡地に住みついた、もじゃもじゃ頭が特徴的な不思議な少女、「モモ」です。

「人の話を聞くこと」が得意な「モモ」の周りには自然と人が集まってくるようになりました。

人々は、モモと話をしていくうちに悩みが小さくなっていきました。モモにはジジやベッポ、子どもたちといった友人がいましたが、ある日、町を灰色の空気が覆うようになります。「灰色の男たち」が町にやってきました。

〇街を覆う灰色の空気

床屋のフージー氏の前に、全身灰色ずくめの男が現れ、フージー氏が現在

・人生を浪費していること

・もし時間にゆとりがあればもっと豊かに生きられること 

を言葉巧みに説きます。

灰色ずくめの男はおもむろにフージー氏が無駄にしている時間を計算し始めます。

睡眠時間や仕事、食事、お客さんとのおしゃべり、友達と会うこと、本を読むこと、、

これらの合計が1,324,512,000秒であるとし、これがあなたが今まで無駄にしてきた時間であると指摘します。

そして、「時間の倹約」と「時間貯蓄銀行」に時間を預けることを勧めます。

フージー氏は以降、無口で仕事をするようになり、助手を雇い、1秒も無駄にしないように努めました。しかし、フージー氏は暫くすると、倹約した時間は自分のもとには帰ってこないということに気が付きました。

それから、フージー氏と同じことが大勢の人々にも起こりました。

やがてテレビや新聞、ラジオの標語には、

「時間節約こそ、幸福への道」という標語が並ぶことになり、町の人たちは次第にくたびれ、怒りっぽい顔になっていきました。

〇灰色の男たちとの遭遇

モモやジジ、ベッポは街で起こっている異変に気が付きました。あまり、モモのところへ人が来なくなりました。

ある日、モモの目の前に灰色づくめの男が現れます。モモを目の前にした灰色の男は次の様に語ります。

人生で大事なことはひとつしかない。それは、何かに成功すること、ひとかどのもにになること、たくさんのものを手に入れることだ。

さらに灰色の男は続けます。

きみがいることで、きみの友だちはそもそもどういう利益を得ているのか。きみは、金をもうけ、えらくなること。。みんなの前進を阻んでいる、みんなの敵だ!

モモは、寒気で身体がぶるぶる震えますが、灰色の男に対して、活動の目的など、質問を繰り返します。

モモの「聞く力」により、灰色の男は「秘密」をしゃべってしまいます。

秘密をしゃべってしまったその灰色の男はその後、他の灰色の男たちが取り仕切る裁判にかけられ、存在を消されてしまいます。

「モモ」の存在に脅威を感じた灰色の男たちは、モモを指名手配し、捕らえる方向で一斉に動き出します。

〇モモ、時間の国へ

一方、モモは円形劇場に突如現れた不思議なカメ、カシオペイアに導かれ、「時間の国」へと向かいます。

灰色の男たちに追跡されますが、カシオペイアはどこの通りを通れば灰色の男たちに遭遇しないかをあらかじめ予見した上で歩き続け、灰色の男たちの追跡を振り切り、「時間の国」に到着します。マイスター・ホラが住む時間の国は天井が非常に高く、様々な種類の時計が掛けている不思議な空間です。

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モモはそこで、「時間そのもの」の存在とも言える、「マイスター・ホラ」と出会います。そこで、マイスター・ホラは灰色の男たちが「人間の時間を奪うことで生きている」ということ、人間自身が灰色の男たちの発生を許す条件をつくりだしていることを語ります。

そして、モモは時間の国で「時間の花」、それらを生み出す源、太陽と月、星々の声も感じました。

〇モモ、もとの世界へ

モモが時間の国からもとの世界に戻ると、その間、現実世界では1年もの時間が経過しており、実にいろいろなことが起こっておりました。

~観光ガイドのジジに起こったこと~

観光ガイドのジジは、簡単に灰色の男たちに丸め込まれてしまいます。新聞記事に、「ほんとうの物語の語り手として、最後の人物」という記事が出て、多くの人がジジの話を聞くために訪れ、やがて、一躍大人気の人物となります。また、名前をジロラモと名乗り、高級住宅に住み、常に時間に追われ、新しい話のネタを考え出すことは出来なくなってしまいました。

そして、想像力の赴くままに空想の話をしていた、モモと一緒にいた頃を懐かしく思うようになります。

 

~道路掃除夫のベッポに起こったこと~

警察に対して、モモが姿を消したことを繰り返し話しましたが、理解してもらえないばかりか、頭がおかしい人物と思われ、留置所に送られてしまいます。

そこでベッポは灰色の男に会い、交換条件を持ち出されます。

お前が今後いっさい、われわれやその活動についてしゃべらないというのなら、あの子を返してやる。さらにいわば身代金として、総額十万時間を貯蓄してもらおう。

ベッポは時間を節約するため、仕事への愛着など持たずに、ただせかせかと働き続けました。夜となく、昼となく道路を掃き続け、仕事を愛する気持ちを失ってしまいました。

〇モモと灰色の男たちとの闘い

自分の大切な友人たちが灰色の男たちの標的にされたことを知り、モモは灰色の男たちと対峙して人々の時間を取り戻す決意をします。

再びマイスター・ホラがいる時間の国に行き、灰色の男たちが人々の時間を金庫に貯蔵していること、人々の時間を葉巻にして吸うことで生きながらえているという秘密を教えてもらいます。

マイスター・ホラは一時的に時間をストップすることで、物理的に灰色の男たちが人々から時間を奪えないようにしました。モモには「時間の花」を託すことでその間も行動することが出来るようにしました。

灰色の男たち・・マイスター・ホラから直接時間を奪い取るため、時間の国を包囲していましたが、時間が止まったことが分かると、大慌てで葉巻を奪い合うなど乱闘し始めます。そして、町に戻り、「時間貯蔵庫」へ向かいます。

モモとカシオペイアは時間貯蔵庫の場所を突き止め、それを開放することで人々の時間を取り戻したのでした。

 

感想など

児童書ですが、大人にも読むことをお勧めしたい一冊です。何事についてもスピードが求められる現代社会は、特に「時間どろぼう」が生まれる温床になっていると思います。

モモでは、灰色の男たちが人々に対して時間を節約するように説得します。人々はそれに騙され、効率的に時間を使うことで時間を節約し、貯蓄するようになります。

しかし、節約した時間は人々のもとに帰ってくる訳ではありません。

「効率的」という言葉は大きな魅力を持つ言葉です。お金を効率的に稼げる、効率的に知識を習得できる、といった言葉は非常に魅力的に聞こえます。そうした、効率性を追求する態度は何か大きなものを犠牲にしてしまっているのではないか、という問題提起を読者に対して行っているのが本書です。

レイ・ブラッドベリの小説、「華氏451度」に通じるメッセージ性も感じました。

読書に例えるなら、速読して効率的に知識を得ることより、お気に入りの一冊をじっくり読んだ方が豊かな時間を過ごせるのかもしれません。

 

 

 

スマホ脳(アンデシュ・ハンセン著)の要約など

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今回は、日本でもベストセラーになった書、スウェーデン精神科医、アンデシュ・ハンセン著、スマホ脳」をご紹介したいと思います。

本書は、人間の脳はデジタル社会に適応していないという前提のもと、スマホが人間の脳に及ぼす悪影響、人間を依存させてしまう要因、そしてスマホ依存への対応策について、詳細に紹介しています。

今やスマホはコミュニケーションの主要なツールとして生活に欠かせない存在であり、スマホ無しの生活は考えられませんが、スマホが出来、一般に流通するようになったのはたかだか数十年の話です。人間の脳はスマホに適応するようにつくられていませんが、他の様々な要因により、人間の脳は簡単にスマホに依存するようになってしまいます。自分自身、スクリーンタイムを確認したところ、一日平均で3時間以上もスマホを触っていることが判明して愕然としたことがあります。

普段スマホを使っている時間を減らして他の時間に有効活用したいと考えている方にとっては非常にお勧めの本です。

 

スマホ脳の内容

~人類の歴史とスマホの使用~

コミュニケーションの在り方はスマートフォンの普及により、ここ10年程度で大きく変容してきました。デジタル化が脳に及ぼす影響については、日々、知識が構築されてきています。

最新の脳科学の研究が示すものはズバリ、人間の脳はデジタル化に対応していないということです。実施、心の不調で心療内科を受診する若者はここ10で大きく増加してきています。

スマホ脳」では、・スマホ使用と脳・心の影響

         ・睡眠・集中力への影響

         ・子ども、若者への影響 などを取り上げています。

世の中は便利になったのに、不安になる人、孤独になる人がどうして増えるのか。

→それは、人類を取り巻く環境と人類進化の過程のミスマッチが心に影響を及ぼしていることに起因します。

 

人類の歴史

→地球上に現れてから99.9%の時間を狩猟・採集して暮らしてきた。

 今でも、私たちの脳は狩猟・採集時代の脳に適応している。

この事実は、睡眠や運動の重要性、直接的なコミュニケーションの大切さを考える上で

重要なカギとなっている。

 

現代社会と人類進化の過程とのミスマッチ~

人類・・飢餓や感染症から身を守ることが出来るように進化を続けてきた。

    進化の過程で素晴らしい免疫システムを備えるようになり、人間の身体は

    カロリーを欲するようになった。

    高カロリーのものを見つけたら、「すぐ口に運べ!」という指令が脳から発せ

    られる。

    →しかし、現代では安価な高カロリー食を簡単に手に入られる時代となって

     いることから、そのミスマッチが肥満や糖尿病を招く原因となっている。

 

人類には、甘い果実を食べると多幸感が得られ、ドーパミンが出るという突然変異が起こった。そうした遺伝子の突然変異がヒトに、果実を見つけ次第、果実を食べる行動を起こさせ、それが生存に有利に働く。

「すぐ口に入れろ!明日にはなくなるかもしれないぞ!」という本能が現代社会で2型糖尿病を引き起こしている。

 

また、人類は、人類史のほとんどの時間において、狩猟・採集によって生きてきた。50~150人ほどの集団で暮らし、当時の主な死因は、飢餓、干ばつ、伝染病、他の人間に殺されることであった。

今の一般的な死因は心臓や脳の疾患、ガンなどとなっている。

また、当時、生きるためには注意力散漫で、周囲の危険を常に確認する必要があったが、今は集中力がある方がよいとされている。

<ストレスの質の変容>

人類がストレスを感じる仕組みは数十万年もの間変わらないが、数十万年の間に、人類にかかるストレスは大きく変わった。

人間がストレスを感じたとき、視床下部からストレスホルモン、コルチゾールが分泌され、脳下垂体、副腎へとつながり、「闘争か」「逃走か」反応が起こる。

コルチゾールの分泌により、心臓の拍動が上がり、消化機能などは低下し、瞳孔が開き、目の前にある危機に速やかに対処出来るように身体の準備が整う。

昔は、ライオンやヒョウなどの捕食者に遭遇したときにこの反応が起こった。

今は、生命の危機を感じる場面が少ない代わりに、ストレスの質は、長期間かつ継続的なものへと変容している。

(仕事の締め切り、高額な住宅ローン、教育費、老後の心配、、、)

ストレスの質は変わらないのに、ストレスを感じた時の反応は全く変わっていないため、ミスマッチが起こっている。

⇒現代のストレスは、「闘争か」「闘争か」いずれによっても解決できない問題が多い。

 

ストレスを感じる脳の部位・・・アーモンド大の大きさの原始的な脳の組織、偏桃体

偏桃体は常にスイッチがオンになっていて、どんなストレスも見逃さない、脳の火災報知器の役割を果たしている。

(プレゼンの準備が出来ていない、高いところや狭いところ、「いいね」が付いていないといったことにも反応してしまう。)

 

デジタル社会では、他者の評価に晒されやすいため、偏桃体が過敏になりやすい環境が整ってしまっている。

<脳の行動の原動力-ドーパミン

ドーパミンは人間の行動の原動力で、行動を促す。

実際に、満足感を感じた際に出る脳内物質は、エンドルフィン

ドーパミンの使命は、人間に、行動を起こさせること。

 

人間の脳・・・周囲の環境を理解するほど、生き延びられる可能性が高まる。

新しい情報に反応して、ドーパミンを産生する。

食料、資源が常に不足していた先祖の時代。移動すれば、食べ物が見つかる可能性が高まった。

 

スマホは、ドーパミンの分泌を増やすように設計されている。検索する、スマホをスクロールする度にドーパミンが放出される。

 

人々は、何か新しい情報が得られるかもしれない、という不確かな結果への偏愛から、スマホを手にしてしまう。

 

SNSの開発者は、人間の報酬システムを詳しく研究し、脳が不確かな結果を偏愛していること、どれくらいの頻度で情報を出すのが効果的なのか、よくわかっている。

SNSは、我々の脳の中にある報酬系をハッキングし、ツイッター社やフェイスブック社はそのことにより、莫大な富を築いている。

 

・「いいね」がついたかもしれない

・「ポーカー」をもう一度だけ、次こそは...!

 

以上、2つにはメカニズムが働いている。

 

SNSの弊害>

・目の前にスマホがあると、相手との会話がつまらなく感じる、という心理学の研究結果がある。

・スクリーンは眠りを妨げる。

ブルーライトは本来、晴れ渡った空からやってくるため、起きろという指令が脳から出てしまい、メラトニンの分泌を妨げ、不眠につながってしまう。

SNSに時間を使うほど孤独になり、リアルに人と会う人ほど幸福感が増していた、という研究結果がある。

・デジタルな嫉妬

→われわれの祖先の時代は、せいぜい、20~30人との競争だった。しかし、SNSの利用により、何万人~何百万人もの人々を閲覧できる現代では、デジタルな嫉妬がしばしば生まれる。何をしても自分より賢い人、お金を持っている人、成功している人が無数に見つかる。

 

~デジタル社会で生き抜くために~

〇運動という対抗策

デジタル社会で生き抜くためには、運動という対抗策が有効である。

すべての知的能力は運動によって高まる。ほんの少しの運動でも効果的である。

(散歩、ヨガ、ランニング、筋トレなど)

古来より狩猟採集により生きてきた人間にとって、狩りを行う、あるいは自分が逃げることには最大限の集中が必要であった。そのため、身体を動かすことは集中力を高めることにつながる。

 

〇脳のミラーニューロン強化

人間の脳には、ミラーニューロンの働きにより、他人の感情を読みとる力が備わっている。デジタル化により、ミラーニューロンの働きが弱まり、他人の感情を推察する力が弱まっている。

対面で他者とコミュニケーションをとることにより、ミラーニューロンの働きが強化される。

 

まとめ

私たちにとって、スマホなしの生活はもはや考えられなくなっています。スマホが1日使えない状況は耐えられないでしょうし、スマホが無かった時代のことなど、思い出すことが難しくなっている程です。

しかし、デジタル化により、精神疾患が増えたり、睡眠の質が低下するなど、様々な弊害も無視できないものになってきています。その原因には、本書で何度も強調されているように、人間の脳はデジタル社会に適合するように進化してきていないことがあるのでしょう。

狩猟採集時代の脳で生きている私たちにとっては、デジタル社会は過度な情報で溢れています。スマホSNSの開発者は、人間の脳のメカニズムを知り尽くした上で製品を世に送り出しているため、私たちはスマホを手放すことが難しくなってしまいます。

益々デジタル化の進展、非対面のコミュニケーションが重要視されてきていますが、逆にリアルなコミュニケーションや人間の身体性を活用することで、人間らしい生活を取り戻すことが出来るのかもしれません。完全にスマホを手放すことは難しい時代ですが、意識して身体を動かす、人との会話を楽しむことなどにより、適度な距離を保つことで、活力に満ちた生活を送ることが出来るようになれるかもしれません。

この本がベストセラーになったのも、多くの人がそのような願望を抱いていることの現れではないでしょうか。

 

 

 

「人間らしさとは何か」 海部陽介著 の要約

人間らしさとは何か 海部陽介

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今回ご紹介した本は、人類学者の海部陽介さん著の「人間らしさとは何か」です。人類学の観点から、ヒトとはどんな動物なのか、ヒトが含まれる霊長類はどんな特徴を持つグループなのかを対話形式で明快に解説しています。また、ヒトとはどんな動物なのかを定義した上で、現代の人類の在り方、これから人類はどのような方向へ向かうのか、社会学的な内容も本書の重要なテーマとなっています。

人類学に関して興味がある方、また、日本でもベストセラーになった「サピエンス全史」のように、人類学的な視点から人類の歴史やこれからを考えるという、最新のトレンドに沿った内容になっていますので、そうした内容に興味がある方にもお勧めです。

本書の内容を簡単に要約してみます。

内容

〇霊長類の特徴について

ヒト(ホモ・サピエンス)は、動物学的には万物の霊長を意味する「霊長類」に属していますが、そもそも霊長類とはどのような特徴を持つグループなのでしょうか。

 

霊長類は、ゴリラやチンパンジーに代表される真猿類や原始的な特徴を持つキツネザルなどの原猿類に大きく分類されます。また、基本的には低緯度地域、温暖な地域に分布しています。(主な生息エリアは熱帯~亜熱帯の森林地帯)最も北限に生息しているサルはニホンザルです。(青森県

例外的に、ヒトは南極大陸を除くほぼ全世界に分布しており、霊長類の中では異質な存在です。食性は雑食傾向で昆虫や葉、果実などを食べます。樹上性のものが多いですが、ヒヒなど、地上性の強いサルもいます。

また、350~500種程度の比較的小規模なグループであり、レイヨウ属、偶蹄類、2000~3000種いるげっ歯類などと比べて成功を収めているとは言えません。

歩き方は、跳躍、樹上4足歩行、地上四足歩行、ナックルウォーク、ブラキエーション(腕渡り)、直立二足歩行など様々です。

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シロテテナガルのブラキエーション

 

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チンパンジーのナックルウォーク

〇ヒトの身体的特徴について

ヒトの身体構造は、他の霊長類と比べてもかなり特殊な方向に進化しています。

・関節・・肘関節・股関節が球関節と呼ばれる構造をしており、自由な運動が可能となっている。肘関節は尺骨の周りを回転させ、回内、回外させるような自由な運動が可能となっている。

・歩行・・直立二足歩行するために骨盤が短小化、脚が長くなり、脊椎がS字に湾曲、土踏まずの発達など様々な形に変化。重力を骨格で受け止めているため、エネルギー効率の良い歩行が可能。

・体毛・・多くの哺乳動物の身体が毛皮に覆われている中、ヒトの体毛は極めて薄くなっている。ヒトは日中のサバンナを走り回って獲物を追いかけるという狩りのスタイルから、毛皮を捨て、汗腺を発達させた

↓他の動物の暑さ対策

パンティング(激しく息を吐く)

舌や口腔内についた水分を蒸発させる。犬はこの方法を採用している。

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パンティングを行う犬

 

・身体の部位を大きくする。

汗腺を持たないゾウやウサギなどは、毛細血管が走る大きな耳を動かすことによろ、空気中に熱を逃がしている。

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砂漠に生息するフェネックギツネ

・掌・・皮膚隆線=指紋が発達。指紋が発達することで滑り止め効果、凹凸ができることにより手の感覚が鋭くなる効果がある。他の霊長類と異なり、手と足は異なる形状に進化している。手はものをつかむ方向、足は土踏まずを発達させ、歩行に特化した形状に変化。

・視覚・・ものを立体視し、色彩感覚に優れている。

※哺乳類の色彩感覚は、哺乳類が元々中生代に夜行性の動物から進化したということもあり、鳥類などと比べて一般に鋭くない。夜行性で暮らしていた哺乳類の祖先は、色を見分けるのに必要なたんぱく質オプシン4つのうち、2つを失った。しかし、昼行性の霊長類に進化する過程で色を見分けるメリットが生じ、2タイプのオプシンを新たに文化させ、3色型色覚を取り戻した。

・歯・・熊、豚などと同じく、特殊化していない形状、雑食傾向を示している。ヒトは、猫などが持っていない甘味受容体まで持ち合わせている。

※同じ霊長類のチンパンジーやヒヒなどは外敵などと闘うため、犬歯が発達させている。

・表情・・ヒトの表情筋は他の真猿類同様、非常に発達している。原始的な霊長類(夜行性のアイアイなど)の表情筋はあまり発達していない。(いわゆる原猿類はあまり目が良くないこともあり、表情を用いたコミュニケーションを取らない。)

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原猿に分類されるクロシロエリマキキツネザル

新猿類と比べて表情筋が発達していない。

・共同体・・脳の大きさと群れの大きさは比例する。ヒトは大きな共同体を形成する。

ある種族が維持できる群れの上限をダンバー数と呼ぶ。チンパンジーが維持できる集団の数は45頭が限界とされている。ヒトが直接顔見知りの間でコミュニケーションできる人数の限界は150人とされる。

しかし、現代人・・ダンバー数を遥かに上回る集団を形成する。ヒトは国民国家や宗教といった現実の物だけでなく、物語・空想上の出来事も信じることが出来るという特異な能力により、数百万、数億人という集団を形成できる。

また、共同体の在り方も他の霊長類と異なっている。

ゴリラやチンパンジー・・ボスをトップとした厳然たる序列が存在。

ヒト・・元来、厳然たる序列がある訳ではない。現代の原住民の暮らしぶりから、狩りで活躍した人をあえて賞賛せず、平等に扱うなど、不平等の芽を摘む仕組みがあることも判明。

 

〇ヒト=サピエンスの歴史

サピエンスはわれわれホモ=サピエンスだけではなく、歴史上、様々な種族が世界各地に散らばる形で同時に存在し、種の誕生と絶滅を繰り返してきました。

既に440万年前に生息していたラミダス原人は直立二足歩行をしており、その後、非頑丈型原人と呼ばれるアウストラロピテクス頑丈型原人と呼ばれるパラントロプス属などが現れました。

・サピエンスのサバンナでの暮らしぶり

サバンナで暮らしていたサピエンスは生態系の一部であり、大型の肉食獣の捕食対象となっていたとされています。

南アフリカのサバンナで、骨に歯形のある化石が見つかり、初期の猿人はヒョウなどの獲物になっていたとされています。

約200万年前には脳が大型化し、道具を使用し、原人が誕生してきます。更に、火を使用することで肉食が進み、歯や顎が小さくなりました。また、消化効率が向上したため、腸が短くなり、腸活動のエネルギーを振り分けることで、脳を巨大化させていったと考えられています。(組織仮説

また、時代が下り、ホモ=エレクトスが誕生します。

ホモ=エレクトスは更に脳を巨大化させ、脚が長く、長距離ランニングに長けており、靭帯や発汗機能を向上させ、日中のサバンナで獲物を追い回すという狩りを行っていたと考えられています。

・ヒトの特性

動物学者、ポルトマンは、ヒトは本来の妊娠期間を1年間前倒しにしていることを明らかにしました。ヒトの赤ん坊は、1歳の段階でようやく他の動物の新生児段階に成長します。

ヒトの脳は産道を通れるサイズの限界まで達したこと、成長し続ける胎児を胎内で養うにはコストがかかり過ぎるという理由から、ヒトは他の動物と比べてかなり早産です。

胎児のような状態で生まれ、その後は著しいスピードで脳が発達していきます。

ヒトの脳は他の動物と比べると体重比でかなり重くなっていますが、このコストを支えることが出来るようになった理由として、狩猟技術の向上、家族の絆、社会性が強くなたことが考えられています。逆に言えば、超未熟児で生まれてくる子どもの世話は親だけでなく親族全員で見る必要が生じてきたことから、集団の絆が強くなっていったともいえます。

また、現代のホモ=サピエンスは見た目の多様性はあるが、遺伝的な多様性は低いとされています。

皮膚や虹彩・髪の色、体形などは、環境への適応の結果に過ぎないことが分かっています。

見た目に違いが出る理由は以下の通りです。

〇皮膚の色

メラニン色素の量で決まる。ユーメラニン色素が多いと褐色、フェオメラニン色素が多いと黄赤色に見えます。紫外線は皮膚機能やDNAにもダメージを与えることから、メラニンは紫外線を吸収してブロックする役割を担っている。

ただし、紫外線を浴びなさ過ぎてもビタミンDが不足して骨粗しょう症になりやすくなるため、

高緯度帯に住む人々:弱い日光でもビタミンDを産生できるように、メラニン産生を抑制(肌は白く見える。)

低緯度帯:紫外線から身を守るぐため、メラニンが多く必要となる。(肌は黒く見える。)

〇体形

同じグループの恒温動物は、寒冷地に棲むものほど、身体が大きい(ベルクマンの法則)という法則がある。

(例:マレーグマとヒグマ、ベンガルトラアムールトラ

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猫科最大種 アムールトラ

また、アレンの法則により、寒冷地に棲む動物ほど、胴のサイスに比べて突出部が小さいという特徴がある。

(例:ミナミアフリカオットセイ、アザラシ)

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ワモンアザラシ

大きく丸い身体は、体積あたりの表面積が小さくなり、放熱を防ぎやすくなるという特徴がある。

これらはヒトについても当てはまり、赤道付近に住む人々は腕や脚が長く、スリムな体形が多いのに対し、高緯度帯に住む人々は、胴が太く、手足が短い人が多くなる。

・ヒト~地球の覇者~

ホモ=サピエンスは地球史上の生物として初めて火を操り、器用な指先で銛や槍など様々な道具を使用し、地球環境をも変えられる驚異的なパワーを手に入れました。新人=クロマニョン人はアフリカからユーラシア、アジアなど広範な地域へと拡大し、氷期にはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸まで到達しました。

クロマニョン人の移動に伴い、多くの動物が絶滅していきました。マンモス、スミロドン、オオアルマジロ、オオナマケモノ、、。また、言語の使用による驚異的なネットワーク、卓越した狩りの能力により、他のサピエンス(ネアンデルタール人、ホモ=エレクトスなど)も絶滅へと追い込みました。

動物種の絶滅は気候変動など、様々な要因も絡み合っていると考えられますが、環境自体も変えられる能力を得たホモ=サピエンスの影響は絶大だったと言えます。こうして、ヒトは生息域、個体数ともに哺乳類の中では群を抜き、地球上の覇者となりました。

感想など

義務教育では、人類学の勉強はサラリとなぞるだけで、詳しくは学ばないところですが、われわれが他の動物と同じく生態系の一部であることを意識し、今の世の中がどんな世の中になっているのか、これからどんな方向に向かっていくのかを知るためには、人類学の勉強はとても大切であると思います。人類の歴史は直線的な歴史ではありません。様々な人類種が誕生しては消え、誕生しては消え、ということを繰り返し、たまたま生き残っているのは現代のわれわれ、ホモ=サピエンスのみということになります。

人類は違いはあれど一種であり、人類同士で争うことはバカバカしくも思えてきます。

 

著者の海部さんは、本書で、人類の持つ「共通性」に目を向けるべきだ、と繰り返し述べています。違いが強調される時代ですが、我々とチンパンジーですら98%は遺伝的に同じであることを考えると、人間同士の違いを強調することにどれだけの意味があるでしょうか。共通していることを見つけることが相互理解の鍵であり、争いごとをなくしていくためにも大切であると思います。

また、人類学は時に、われわれの想像力をかき立ててくれます。数万年前までクロマニョン人と共存していたネアンデルタール人は、クロマニョン人とは全く異なるライフスタイルを送っていたということが分かってきました。ネアンデルタール人クロマニョン人より背が低く、四肢が短くがっしりとした体形で、狩りはクロマニョンが持久力を生かして追い込んでいくタイプなのに対し、待ち伏せを行い、瞬発力で一気に仕留めるという方法をとっていたようです。もし、ネアンデルタール人が現代に生きていたら、投擲競技やウエイトリフティングなどでものすごい記録を生み出していたかもしれません。

因みに、現代人の遺伝子について調べた結果、約2%はネアンデルタール人の遺伝子であるようです。このことは、ネアンデルタール人クロマニョン人の間に交流があり、交雑も起こっていたということを示しています。

他の人類種同士の交流があったと思うとわくわくしてきますね。