読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

斜陽(太宰治)の内容・感想など

斜陽(太宰治

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斜陽は太宰治の作品の中でも有名で、大ヒットとなった作品です。

衰退していくものたちを指す、「斜陽族」という言葉が生まれたのもこの小説による影響です。

小説のテーマは「貴族の没落」です。明治時代は急速な西洋化により、人々の生活様式、価値観なども急激に変わっていった時代であったと思われます。そのような時代にあっては、財閥などが台頭してくる一方、産業化から取り残された地方の有力者などの力は徐々に衰退していったことが予想されます。

太宰治の書いた「斜陽」は当時はリアリティのある題材であったと思われます。

斜陽の見事な点は「没落貴族」という題材にも関わらず、悲壮感をあまり感じさせないところです。文章は美しく、むしろ「滅びゆく美」を感じさせるところに最大の魅力があります、「滅びゆく美」を意識して書かれた斜陽からは日本的な美を感じられます。

 

〇内容

日本にもかつて存在した階級制度に守られ、豊かな生活を教授してきた一家族が父の死、時代の移り変わりによって没落していく。

 

登場人物・・・かず子(主人公)、母、直治(かず子の弟)

 

【あらすじ】

東京に暮らしていた母とかず子は徐々に生活が苦しくなっていき、伯父から紹介された伊豆の山荘に移り住む。母も病気がちになり、かず子は母の看病を行うとともに、慣れない畑仕事にも従事するなどして何とか生活を維持していた。

一方、直治は都会で阿片中毒に陥り、享楽的な日々を送り、巨額の借金も抱えていた。直治も伊豆の山荘へとやってきて借金を押しつけるようになり、家庭内は荒れていく。

かず子は精神的にも疲労していくが、かつて直原が取りまきをしていた妻子持ちの上原二郎という作家のことを思い出し、彼に情熱的な手紙を書くようになる。やがて、かず子は上原二郎の子どもを生むことを自身の「革命」と位置づけて決意をする。

母が病気をこじらせて美しい生涯を終えた後、かず子は「革命開始」を決意して東京にいる上原のもとを訪れる。荒れた生活をしていた上原にかず子は幻滅しつつも、子どもを身ごもることになる。

その頃、直治は都会から踊り子を伊豆の山荘へと連れ帰り、遺書をしたため、一人自害を遂げた。

かず子は伊豆の山荘に帰り、直治の死を知る。そして、かず子は直治という時代の犠牲者の事を思いながら生きていくこと、古い道徳と闘い、自分の子どもとともに時代を生き抜く決意をするのであった。

 

◯ポイント

・最後の貴婦人、「母」の描写

本書では母がまさに「最後の貴婦人」として描かれ、母の言動に貴婦人としての高貴さが現れています。母の描写は作品全体に明るい印象を与えています。

 

お母さまは、何事もなかったように、またひらりと一ざじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。

 

直治もまた、「ママにはかなわねえところがある。」という程、母の振る舞いが洗練されていることが読み取れます。

骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母様は、平気でひょいと指先のところで骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。

こうした描写が作品全体に華を与えています。

 

・かず子の生き方

貴族の娘として不自由のない生活を送ってきたかず子は、時代に翻弄されるようになります。新しい環境で生きていく決意をしたかず子でしたが、最終的に行き着く先は「愛人との間に私生児を産むこと」でした。

上原への想いが溢れたかず子の手紙もまた、本書魅力の一つです。

お手紙、書こうか、どうしようか、ずいぶん迷っていました。けれども、けさ、鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ、というイエスの言葉をふと思い出し、奇妙に元気が出て、お手紙を差し上げるようにしました。

もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行ってください。私ひとりの力では、とても消すことができないのです。とにかく、逢ったら、逢ったら、私が助かります。万葉や源氏物語のころだったら、私の申し上げているようなこと、何でもないことでしたのに。あなたの愛妾になって、あなたの子供の母になること。

また、かず子は上原のことをM.C(マイ.チェーホフ)と読んで慕っていました。チェーホフといえば、代表作の「桜の園」をはじめとして、数々の

優れた小説を残したロシアを代表する作家です。

貴族として生きてきたかず子が、家庭のある男の子どもを生み育てることに生きていく道を見出していくのは、なかなかに衝撃的です。現代でもそうですが、とりわけ明治時代では不倫などへの道徳的バッシングが強かった事は想像に難くありません。

そう言った意味で、かず子は同時代の道徳的価値観に挑戦状を叩きつけたと言っても良いと思います。

 

・直治の生き方

直治は貴族の生まれですが、酒に女に博打に溺れ、多額の借金を作る堕落した生活を送るようになってしまいました。

しかし、直治にもそうならざるを得ないだけの理由があったのです。それが、直治の遺書で綴られています。

直治は高等学校へ入ると、今まで自分が育った階級とは全く違う階級の友人とも付き合うようになりました。そこで、友人たちに合わせるために無理に下品な言葉を使ったり、阿片を使ったりするようになったのです。

僕は下品になりました。下品な言葉づかいをするようになりました。けれども、それは半分は、いや六十パーセントは哀れな付け焼き刃でした。へたな小細工でした。民衆にとって、僕はやはり、キザったらしく乙にすました気づまりの男でした。彼らは僕としんから打ち解けて遊んでくれはしないのです。

直治の遺書からは、民衆に馴染みたくても馴染めなかった直治の精神的な苦悩が伺えます。

直治もまた、かず子と同様、時代に翻弄された犠牲者と言えます。

そして、遺書の結びは「姉さん。僕は、貴族です。」でした。

 

◯おわりに

この斜陽という小説は、「滅びゆく美」という極めて日本的な美をテーマにした小説です。

没落貴族の一家の3人からは三者三様の生き方が見てとれます。

最後まで貴族として生きた母、時代に抗い、強く生きていく決意をしたかず子、時代に同調しきれなかった直治。

太宰治のたぐいまれな文章力で、それぞれの生き方がありありと伝わってくる名著です。

気になった方は是非読んでみてください!