読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

寝ながら学べる構造主義 内田樹(文春新書)

寝ながら学べる構造主義 内田樹 (文春新書)

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本書は、構造主義の入門書です。タイトルの通り「寝ながら学べる」ほど易しいとは思えないのですが、全体的として平易な言葉で、非常にラディカルな内容が書かれていて非常に刺激的な書です。フーコーやレヴィストロースといった構造主義の哲学者の古典にも触れてみたいという気持ちに自然とさせてくれる、かなりおすすめの本です!

 

構造主義とは…??

この本の主題となっている「構造主義」とは、20世紀の現代思想の一つであり、具体的に言えば次のような考え方です。

「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の所属する社会的集団が受け入れたものだけを選択的に「見せられ」、「感じさせられ」、「考えさせられている」。そして、自分の所属する社会的集団が排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題になることもない。」(25頁)

 

つまり、人間は自由に思考したり行動したりしているようで、実は思考や行動の幅は属する社会集団によって、「構造的」な問題として決定づけられている、という思想が構造主義の中身となります。

この考え方は人間の自由や平等を掲げるような思想と比べてロマンが無いことは確かです。何せ、自分の今までのあらゆる意思決定は、必ずしも自由に行ってきたものではなく、周囲の環境などからも不断の影響を受けており、結局のところ社会集団が受け入れたものの範囲内のものでしかないと言われてしまう訳ですから。

 

例えば、「自分」で「自由」に決めてきた進路や就職先について、構造主義者から「あなたは自由に進路を決めたつもりでいるかもしれないが、実はあなたは生まれた国、地域、家庭などから構造的な影響を受けており、その社会集団が選択的に選び取った枠組みの中でしか思考することができない。したがって、必ずしも自分の自由意志で決めたとは言えないよ。」と言われたらどのように思うでしょうか。きっといい気分はしないと思います。

 

しかし、この本の著者である内田樹さんによれば、私たちは今、ポスト構造主義の時代に生きていると思います。「ポスト構造主義」の時代とは、構造主義の思考方法が深く私たちの中に浸透したが故に、あらためて構造主義の書物を読んだり、思考方法について学んだりしなくても、その発想そのものが私たちにとって自明のものとなってしまった時代のことを指します。

そして、その「自明のもの」、「常識」として認識されている思考方法や感受性のあり方がどのような歴史的背景の中で育まれてきたものなのかを明らかにすることこそ、学問が果たす役割だといいます。

 

また、構造主義の思考が私たちにもたらしてくれた創見は以下のようなものです。

「私たちにとって、ナチュラルに映るものは、私たちの時代、私たちの住む地域、私たちの属する社会集団に固有の「民族誌的偏見」に過ぎない。」

いまの私たちにとって「ごく自然」なものと思われるふるまいは、別の国の、全く異なる文化的バックグラウンドを持っている人々からすれば、非常に奇怪なものに映ることはよくある話です。(だからこそ、「ここがヘンだよ日本人」といったコメントはほとんど無限に出てくることになります。)

また、時代と地域によっても思考の枠組みは全く異なります。今の現代人に、中世の十字軍兵士の気持ちを心から理解し、共感できる人が一体どれだけいるでしょうか。

(中世の騎士は十字軍の兵士となって、異教徒であるイスラム教徒を殺すことこそ最大の名誉であると考えていたはずです。そして、万が一そこで殉教しても天国に行けると考えていたはずです。いずれにしても、当時の彼らの感覚を理解し、共感することは現代人にとっては相当難しいと思います。)

 

それどころか、同じ日本人であっても、世代が変われば同一の事象についての評価は一変します。今の私たちが常識と捉えていることも、数百年後の人たちからすると、「クレイジーな考え方だ」と思われる可能性も十分にあり得ます。

つまり、構造主義の考え方は「私たちの常識は、それほど普遍性を持つものではないかもしれない。自分の「常識」を他人に拡大適用しない節度を持つことが大切だ」という考え方をもたらしてくれました。

 

一見、自由や平等を掲げる思想と比べて派手さやロマンは無い思想ですが、多角的に物事を見る上では非常に有効な思考の在り方であると思います。構造主義的な視点を持つと、「待てよ、自分が常識と思っていることは、相手にとってはそうではないのかもしれない」と一度立ち止まって考えることができるからです。

本書では、構造主義の土台をつくった人物として、マルクスフロイトニーチェの3名が紹介されています。

 

構造主義前史~先人たちはこうして地ならしした~

本書では、構造主義の源流を作り出した人物として、まず、カール・マルクスが紹介されています。

 

マルクスの功績

→社会集団が歴史的に変動していくときの重要なファクターとして、「階級」に注目。

 人間は「どの階級に属するか」によって「ものの見方が変わってくる」。この、帰属

 階級によって違ってくる「ものの見方」=階級意識

人間の中心に「普遍的人間性」というものが備わっているのであれば、どんな社会的地位にいようと、ものの見方や考え方は同じになるはずです。ところが、マルクスはそのような伝統的な人間観を退け、「人間の個別性を形づくるのは、その人が何ものであるかではなく、何ごとをなすか」によって決定されると考えました。

つまり、自己意識を持った主体がはじめにそこにあるわけではなく、生産=労働に身を投じ、そこで「作り出した」意味や価値によっておのれが何者であるかを回顧的に知る。主体性の期限は主体の「存在」ではなく。主体の「行動」のうちにある。この考え方が構造主義の根本となる考えとなります。

マルクスの創見

人間は自由に思考しているようで、実は階級的に思考している。

 

フロイトの無意識の部屋

フロイトは、人間の思考を規定するものについて、マルクスが「生産」という外側の活動に目を向けたのに対し、一番内側に目を向けました。

人間が直接知覚できない心的領域=無意識がその人の意思に関わらず判断や行動を支配している、フロイトはそのように考えました。

 

つまり、フロイトは、人間は自分が自由に思考しているつもりでいるが、「実はどのように思考しているかを知らないで思考している」ことを看破しました。

抑圧=「ある心的過程を意識するのが苦痛なので、それについて考えないようにすること」のメカニズムについて、フロイトは、「二つの部屋」とその間にある番人の例えを用いて説明しました。

 

それは、人間の心理のうちには意識と無意識とを隔てる部屋があり、その間には「番人」が立っている。そして、意識することが苦痛であるような事柄については、番人が無意識の部屋に押し戻してしまう、というようなものです。

このようなフロイトの無意識の発見が構造主義に与えた知見は以下のようなものです。

人間は、「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することはできない。

 

ニーチェ大衆社会批判

ニーチェは、「私たちにとって自明と思えることは、ある時代や地域に固有の「偏見」に他ならないということを激しく批判しました。

さらに、私たちは「自己意識」を持つことができない存在だ、とも厳しい口調で語ります。なぜ、ここまでの批判をするようになったのでしょうか。

ニーチェは、もともと古典文献学者としてスタートした人物です。古典文献学という学問は、研究者にある特殊な心構えを要求します。それは、過去の文献を読むに際して、「いまの自分」が持っている情報や知識をいったん「カッコに入れ」ないといけないということです。そうしないと、現代人には理解や共感もできないような感受性や心性を価値中立的な仕方で忠実に再現することはできないからです。

現に、「悲劇の誕生」を書きつつあるニーチェはほとんど古代ギリシャ人になりきって感動し、うち震えています。

 

「完全に理想的な観客とは、舞台の世界を美的なものとしてではなく、生身の肉体を備えた経験的なものとして感受することだというのである。おお、このギリシャ人たちは!」(悲劇の誕生

ニーチェは古典文献学者としての経験を踏まえ、異邦の、異文化のうちにある人々の具体的な体験を「その身になって」内側から想像し、追体験することのうちに「自己意識」獲得の可能性を求めました。

 

つまり、そのことで、「いまの自分」から逃れ出て、異他的な視座から自分を振り返ることによって「自己意識」を獲得できると考えたのです。

遠い太古の、異郷の人々の身体に入り込めるようなのびやかで限界を知らない身体的な知性だけが適切な「自己意識」を可能にするだろうと考えました。

そうであるとすると、ニーチェはそのような「のびやかな知性」の在り方が損なわれていることを批判したのです。

 

ニーチェにとっては自分たちにとってナチュラルと思われる価値判断や真善美に関する判断を歴史的に形成されてきた偏見であるとはみなさず、永遠に普遍であると信じ切っている同時代人たちがとんでもない愚か者に見えたのでした。

その後、ニーチェ大衆社会の到来を予見し、徹底的に批判していくことになります。

ニーチェ構造主義に与えた影響は、「過去のある時代における身体感覚や価値観、感受性のようなものは、いまを基準にしては把握することができない」というものです。

この考え方はM.フーコーにしっかりと継承されることになりました。

 

ソシュールフーコー、バルト、レヴィストロース

 

詳しくは、本書を読んでいただきたいと思いますが、前述の3人に続く3名の哲学者として、「言語学」という観点から、私たちの経験(身体感覚さえも)は、私たちが使用する言語によって非常に深く規定されていることを見出したフェルナンド・ソシュール

「監獄」や「狂気」など、人間社会の諸制度について、それが形成された「生成の現場」まで立ち返ることによって社会制度についての歴史的な常識を覆し、「知の考古学」を実践したミシェル・フーコー

 

最初にテクストを読む主体があって、私たちはそれを自由に解釈している訳ではなく、テクストと読者との間には「絡み合いの構造」があり、テクストが私を「読める主体」へと形成するというテクスト理論を打ち出したロラン・バルト

 

文化人類学者として、未開社会の親族構造の研究を通じて、西欧的な歴史観を批判し、実存主義に対して死亡宣言を下したレヴィ・ストロース

 

フロイトに還り、精神分析を通じて、無意識的なものを意識的なものに翻訳しようと試みたジャック・ラカン

 

ソシュール構造主義の始祖として、フーコーレヴィ・ストロースロラン・バルトラカン四銃士として紹介されています。いずれの哲学者の思想も非常に独創的で非常に興味深いです。ぜひ読んでみてください!