読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

「方法序説」デカルト (角川ソフィア文庫)

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方法序説デカルト 角川ソフィア文庫

          ¥552(税別)

 

哲学の古典として知られるデカルトの「方法序説」。名前は聞いたことがある方は多いと思いますが、読んだことのある方は意外と少ないのではないでしょうか。

「序説」という題の通り、本来は独立した本ではありません。「屈折光学」「気象学」「幾何学」の三つの論文を一つにまとめ、それにこの「序説」が付されました。この「方法序説」は、正確には「理性を正しく導き、もろもろのおける真理を探究するための方法序説といいます。

序説とだけあって、全体で127頁ほどしかありませんが、一文一文がやや長いため、必ずしもスーッと読める訳ではありません。しかし、デカルトの思想、人物像が文章から浮かび上がり、読んでいて飽きません。当時の時代背景などを多少知っていると、より内容が理解しやすいと思いますが、専門的な知識がなくとも読めるためとてもおすすめです!

 

●構成

方法序説冒頭において、デカルトによって構成が説明されています。以下のように、六部に分かれています。

 

第一部 もろもろの科学にかんする考察

第二部 著者が探し求めた方法の主な法則

第三部 著者がこの方法から引き出した道徳上の若干の法則

第四部 著者の形而上学の根底をなす神と人間の霊魂との存在を証明するいろいろの根拠

第五部 著者が研究した物理学の書体系

第六部 著者が今よりも自然の研究にもっと深く突き進むために必要だと感じている若干の事柄と著者に本書を書かせるに至った若干の理由

 

このうち、デカルト思想の核となる部分が表されているのは、第四部です。

 

今回は全てのパートには触れませんが、いくつか重要と思われる箇所をピックアップして触れたいと思います。

 

●第一部

方法序説は第一部冒頭から印象的なフレーズで始まります。

「良識(ボンサンスー)」はこの世でもっとも公平に配分されているものである。(10頁)

本書、157頁目でこの文章の持つ意義皇室について解説されていますが、これはまさしく「思想の領域における人権宣言」と解釈できる一文です。なぜなら、当時(17世紀)は神によって選ばれた者のみが真理を認識できる能力を持ち、人を導くことができると考えられていたからです。(157頁)

 

また、さらにデカルトはこのように続けます。

「正しく判断し、真偽を判別する能力ーこれがまさしく良識、もしくは理性と呼ばれているところのものだがーは、生まれながらに、全ての人に平等であることを証明している。(中略)

というのは、健全な精神を持っているということだけでは十分ではなく、大切なことはそれを正しく適用することだからである。

つまり、良識は全ての人に備わっているが、それをどのように正しく適用させていくかーこれが本書においての大きなテーマとなります。

正しく物事を判断できるのは神だけではなく、すべての人間に備わっている事を前提とした事はキリスト教社会においては相当に意義深い事であると思います。

 

また、デカルト自身、自分の精神を他の人たちよりも優れているなどと自惚れた事はないと述べた上で、デカルトの目的は、各人がその理性を正しく導くために従うべき方法を教えることではなく、ただ単に自分がどのように理性を導く努力をしたかをお目にかける事だ、と述べています。

学問の探究に関する、デカルトの非常に謙虚な人柄が窺えます。

 

第一部では、これに続く形でデカルト自身のこれまでの学問の変遷が書かれています。デカルトは何を学び、何に失望したのか。経緯が詳細に記されています。

 

デカルトの「学び」の変遷

デカルトは、ヨーロッパの著名な学校であらゆる学問を修め、占星術などの本を含め、手に入れることができる限りの本は全て読破したと述べています。デカルトはこれらの学問には意味がある事を認識する反面、それらの学問に盤石な基礎が築かれておらず、真理の探究というには程遠いということを実感するようになります。

その後は文字の学問を捨て去り、旅行をし、軍隊での経験を踏まえ、「世間という大きな書物のなか」に真の学問を見出そうとします。

根底には、真と偽をはっきりと区別する事を学びたいという願いがあったのです。

 

●第二部

こうしてデカルトは、正しく理性を用いて物事の真偽を判断するための方法を模索するようになります。そして。幾何学などを学ぶ中で以下四つの準則を見出します。

 

一、わたしが明証的に真理であると認めるものでなければ、どんな事柄でも真実として受け取らないこと。(注意深く、即断と即決を避ける)何ら疑問をさし挟む余地のないほど明瞭かつ判明にわたしの精神に現れるものいがいはけっして自分の判断に包含させない。

 

ニ、検討しようとする難問の一つ一つを多数の小部分に分割する。

 

三、もっとも単純で認識しやすいものから始めて少しずつ、複雑なものへと思考を導いて行くこと。

 

四、最後に、全般にわたって、自分は何一つ見落とさなかったと確信するほどの完全な列挙と見直しを行う。

 

デカルトはこの方法を用いることにより対象へのより鮮明な理解、さまざま科学の問題の検討がより容易になったと述べています。

現代でも様々な問題を検討するにあたって非常に有効となりそうなアプローチですね。

 

●第四部

第三部は省略して第四部です。ここで有名な「我思う故に我あり」という考え方が登場します。デカルトは、真理について探求する中で、少しでも疑問を挟む余地のあるものは全て虚偽であるとみなした上で、最後になんら疑う余地のないものが残るか、ということを考えるようになります。

こうして全ての物事を虚偽として考えようとしていたデカルトでしたが、そう考えている「わたし」が存在する事は疑い得ないものであることに気付きます。

「わたしは考える、だからわたしは存在する」というこの真理は、懐疑論者のどんなに途方もない仮定といえどもそれを動揺させることができないほど堅固で確実なのを見て、わたしはこれを自分が探求しつつあった哲学の第一原理として何の懸念もなく受け入れることができると判断した。(59頁)

本書で最も有名な部分であると思います。デカルトはこの、「わたしは考える、だから私は存在する」という考えを自身の哲学の第一原理としました。

デカルトにとって、この原理はゴールではなく、スタート地点であるということがとても重要なところです。

また、この章の中でデカルトは同時に、「神」の存在の絶対性を述べています。神については、わたしの存在よりも完全であり、世界は神なしには存在できないという理由で神の存在は絶対であると結論づけています。

疑いうるものは徹底的に疑うはずのデカルトが、なぜか神の存在は最初から完全であるため疑いようがないと主張しているため、違和感を覚えるところです。この部分については、のちに若干の補足を加えてみます。

 

第5部は肉体と思考の関係性、人間と動物の違い、医学的な人体の構造等が述べられていますが、割愛します。

 

●第6部

本書を刊行するにあたった経緯等が述べられています。

デカルトは、当初は論文を発表する予定などはなかったと述べています。しかし、やがて自分の著作が他者に検討されることが自身の喜びにつながるであろうと思うにいたり、数本の論文と併せて本書を刊行することにしたそうです。また、それらの著作に対して反対説がある人は反対説を出版社あてに送ってくれと言っています。さらに、それに対して簡潔な返答を行うように心がけるとも述べています。

デカルトの学問に対する非常に謙虚な姿勢を垣間見ることができます。

かつ、自分の母国語であるフランス語で書いたのは、ラテン語で書かれた書物しか読まない「インテリ層」よりも一般の人々の方がもっともよく自分の意見を判断してくれると期待したからだといいます。

 

●考察・感想等

近代哲学の父、デカルトの「方法序説」。その功績は、「神」の存在抜きで真に確かなことは何か、ということを考察したことにあると思います。まず、既存の学問を一通り学び、手に入れられる書物は全て読破したうえで、既存の学問自体を疑い、新たに自身の学問を打ち立てるにあたっての方法を模索し始める、というのは通常、到底到達しえない発想であると思います。そして、あらゆるものを徹底的に疑ったうえで、「疑っている自分は疑いえない」というところから自身の学問をスタートさせるに至りました。

キリスト教全盛の時代、人々は教会の言うことにしたがってさえいればよいという考えが主だった時代(これは本来のキリスト教の趣旨からは大きく外れており、腐敗していると言ってよいかとは思いますが。。)、極めて現実的な思考で、人間に生まれながらに備わる理解力を最大限に生かし、真理を探究する方法を考え抜いたデカルトは、まさに哲学を復興させた人物でしょう。

しかし、なぜとって付けたように神学の重要性や神の存在の絶対性を本書で述べているのか、、それは「当時の思想的な弾圧を避けるため」という意図があったと思えてなりません。ほぼ同年代の哲学者で「エチカ」を著したスピノザは、無神論者であるとして弾圧されています。

また、デカルトはこのように「人間存在=考えること」と考えましたが、肉体と精神を完全に二分して考えています。しかし、このことは肉体が精神に与える影響については無視しており、後に20世紀の哲学者メルロ=ポンティは、これを批判する形で身体論を中心とする独自の理論を打ち出しました。

後の世代で批判もされているデカルトですが、逆に言えば、彼が偉大な存在だからこそ、常に乗り越えるべき対象になってきたと言えると思います。本書は近代哲学を発展させた記念碑的作品であるという位置づけは今日も変わらないと思いますし、デカルト的な思考は現代社会でも非常に有効であると思います。何より、哲学書としては圧倒的に薄くてとっつきやすいです。数百年前の哲学者の本が日本語訳で、しかも数百円で買える。。すばらしいことですね。