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「民主主義とは何か」の内容・要約など②(講談社現代新書)

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「民主主義とは何か」宇野重規著者 講談社現代新書

前回の続きです。

 

私たちは現代の選挙によって代表者を選ぶ「代表制民主主義」を唯一の民主主義であると考えがちです。

しかし、それは唯一無二の民主主義なのでしょうか。何が民主主義的かどうかは歴史を踏まえて考える必要がありそうです。

本書では古代ギリシアから2500年に渡る民主主義の歴史を振り返ることで、民主主義を分析しています。「民主主義ってそもそも何なのだろう…?」という疑問を持った方にはぴったりの本です。

前回は主に古代ギリシアの民主政を見ていきましたが、今回は近代以降の民主主義の変遷を見ていきます。

西欧における議会制

●議会制は民主主義的なシステムか?

本書では、現代では民主主義のシステムとして最も浸透している「議会制」というシステムは直ちに民主主義であるとは言えない事が強調されています。

これは一体どういうことでしょうか。

古代ギリシアでは、市民で構成される「民会」がポリス内のあらゆる事柄に対しての決定権を握っていました。

今の佐賀県くらいの大きさだったアテナイではは、民会が開催される日には農村部からも数日がかりで議論を行うプニュクスの丘まで駆けつけたといいます。

アテナイの市民にとっては、民会に参加する事が最大の名誉であったに違いありません。

何しろ、自ら発言を機会を持てたのですから。

そして、公職についた後に実施した事柄についての責任が問われるシステムにもなっていました。

まさに、「参加と責任のシステム」こそが民主主義を支えていたと言えます。しかし、これは現代われわれが民主主義と呼んでいるものとは大きく異なる形態でしょう。

本書でも記されていますが、

問い直すべきは、私たちが日常的に民主主義と呼んでいるものが、本当に民主主義と言えるか

ということなのです。

現にアリストテレスは、「民主主義に相応しいのは抽選制で、選挙はむしろ貴族的性格が強い」と述べています。

●議会制民主主義の起源

では、議会制の起源はどこに求められるのでしょうか??

本書によれば、西欧において中世が終わり、封建制が崩れてきた時代に遡るといいます。

封建社会では、それぞれの領主が自前で軍隊を持ち、課税権を持ち、司法権も持っていました。国王の収入源は基本的には直轄地に限られていたのです。

それが戦争などの必要性から、国王が司法権の掌握に始まり、徐々に領土全域への課税権も拡大していきました。

しかし、国王といえども、無制限で課税が出来るわけではなく、議会を開催し、各身分の承認を得る必要がありました。

つまり、議会の起源=国王が課税の承認を得るための身分制議会と言うわけです。

起源から考えると、議会そのものは、人々が自らの事を自らで決めていくという民主主義の理念に近いわけではありません。

●議会制民主主義の発展

起源的には民主主義とはかけ離れた議会が、間もなく人々の意見を表出する場となっていったことは事実です。

イングランドでは、ジョン王の度重なる課税要求に対して貴族たちが反乱を起こす事で、1215年、マグナカルタ(大憲章)が成立しました。

国王は、臣民の自由と権利を守り、法の支配に服する範囲において権力を行使する事ができる事が明文化されました。

西欧では、国家システムが整備され、中央集権が進む一方、それに対抗する力としての議会の力が強くなっていきました。

政治学者のフランシスフクヤマは以下の通り述べています。

国家と抵抗勢力との均衡が成り立って初めて、説明責任を果たす政府が生まれる。

この均衡をいち早く成立させたのがイギリス議会制の歴史です。

 

●英仏米の近代化

17世紀になり、イングランドでは、王権と議会の対立が顕著になります。

この時期を代表するのはトマス=ホッブズでした。

主著、リヴァイアサンでは、個人の自由と生存を守るために、国家の存在を規定しています。

清教徒革命が起こり、その後、王政復古しますが、ジョン=ロック「統治ニ論」の影響を受けて、名誉革命を実現します。

イギリスはいち早く議会主権を成立させました。

フランスでは、ブルボン朝のもとで中央集権国家体制が整備されましたが、イギリスの様にはいきませんでした。

中央集権化によって、貴族たちは土地との結びつきを失ったにも関わらず、特権を享受し続けることで平民たちの憎悪を買うことになります。

イギリスと違って、貴族と地主、中産階級と農民との間に連帯が生まれないため、政治は不安定になりました。

そして、平民の怒りは数十年振りに開かれた3部界において爆発し、フランス革命へと発展しました。

●合衆国憲法

アメリカと言えば、自由の国、民主主義の国というイメージがありますよね。

しかし、本書によれば、合衆国の建国、合衆国憲法の成立は苦難の連続であったといいます。

イギリスから独立した13の州は当時、国家(state)であり、それぞれ固有に課税権や司法権などを有していました。

(その名残として、マサチューセッツ州の名称は依然として、マサチューセッツ共和国という意味の、commonwealth of Massachusetts となっています)

憲法案では、連邦政府の権限は明確に条文上に規定されているものに限定され、それ以外は州の主権に留保するなど、妥協の多いものになっています。

●ザ・フェデラリスト

合衆国憲法についてのニューヨーク州の反発は特に強烈で、その事を受け、憲法案についての解説書が発行されることになります。これが、「ザ・フェデラリスト」です。

書いたのは、アレクサンダー・ハミルトン(初代財務長官)、ジェームズ・マディソン(第四代大統領)、ジョン・ジェイ(初代連邦最高裁長官)です。

「ザ・フェデラリスト」の中では、純粋民主政と共和政が対比されています。

その中で、純粋な民主政は大国には向かず、多数派によって少数派の意見が犠牲となる可能性がある一方、共和制は代表を選び、選ばれた人間は公共の利益をよく理解しているため、望ましい事が述べられています。

また、純粋民主政では派閥同士の争いが激化しがちな一方、共和政においては、派閥の対立を緩和する事ができると述べ、共和政=代表制民主主義を批判しています。

面白いことに、私たちは、代表制民主主義こそが近代の領域国家において唯一可能な民主主義であると信じて疑わなくなっていますが、これは、この常識は、「ザ・フェデラリスト」の言説から始まっているのです。

民主主義の理論を確立した思想家たち

●アレクシ・ド・トクヴィル

建国の父たちは、純粋な民主政を批判していましたが、当時のアメリカは民主主義的ではなかったのでしょうか??

本書では、それは違うと主張されています。

フランス人貴族出身の政治学者、アレクシ・ド・トクヴィルは、アンドリュー・ジャクソン時代のアメリカを訪問し、その経験を基に「アメリカのデモクラシー」を執筆しました。

東部ニューイングランドのタウンシップを訪問する中、市民が持っている政治的な見識にトクヴィルは驚かされたのです。

当時のアメリカでは、政府の力が弱い分、学校や道路、病院などについても、自分たちの力でお金を集め、あるいはそのための結社(アソシエーション)をして事を進めていました。

トクヴィルの言うデモクラシーは政治体制としての民主主義という狭い意味ではなく、地域レベルの自治や社会の様々な側面で見られる平等の趨勢を意味しています。

● ルソー

啓蒙思想家ルソーが登場し、社会契約論はフランス革命の論理的支柱となります。

(とはいっても、本書によると、ルソー自身が革命を扇動した訳ではなく、革命の大義のため、彼の思想が利用されたようです。)

ルソーは幼少期より、プルタルコス英雄伝を読むなど、古代への憧れを強く抱いていた人物です。彼の古代社会のイメージは、「貧しくても危害を持った市民たちが自由を守るために祖国を守る」といったものです。

ルソーからすると、同時代の「文明」なるものは、奢侈と虚栄に満ちたものに見えて仕方がなかったのですね。

ルソーといえば、社会契約論が有名ですが、

この社会契約の意味について、ルソーは

各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること

と述べています。

この社会契約に基づいてつくられる存在こそが「国家」となる訳です。

また、ルソーは「一般意志」に従って行動すべきであると説いています。この、「一般意志」とは何かについて、ルソー自身、明確に示していないそうです。そのため、今日でも議論を呼んでいます。

本書では、この「一般意志」に従うことの意味について、「一人一人が社会全体の公共の利益を考えること」と定義しています。

古代の政治に憧れを抱くルソーにとっては、自ら公共の利益を考えることなく、全てを自分たちの代表に委ねて平然としていることに我慢がならなかったのでしょう。

市民一人一人が公共の利益について考えて、議論する事が民主主義を支えるというルソーの主張は、今なお響いてくるものがあるのではないでしょうか。

 

●J.Sミル

本書では、代議制が最も優れたシステムであるというイメージを定着させた思想家として、ミルを挙げています。

子どもの頃から、ベンサムの様な功利主義者になるべく育てられたミルですが、青年期にはベンサムとの思想の違いに悩むことも多かったそうです。

やがて、ワーズワースの詩に感激し、美が人の精神にもたらす感動や共感の意義に目覚めたといいます。

ミルの主著といえば、「自由論」です。

その中で、自由について以下の様に述べています。

自由の名に値する唯一の自由とは、他人の幸福を奪ったり、幸福を得ようとする他人の努力を妨害しない限り、自分のやり方で自分自身の幸福を追求する自由である。(自由論)

かつ、ミルは個人の自由を認めることには社会的意義があると述べています。

やはり功利主義者らしい考え方ですね。

また、「代議制統治論」において、良い統治の基準について述べています。

一、国民自身の徳と知性の促進

ニ、機構それ自体の質

そして、これら2つの基準を満たす統治のあり方として、代議制を挙げており、代議制は

平均水準の知性と誠実さを最も賢明な社会成員の個々の知性や徳とともに集約するための装置

であると述べています。

まず、個人の自由こそが民主主義の根幹であり、その上で代議制こそが望ましいとしたミルの理論は、後世に多大な影響を与えたということができます。

シュンペーター

シュンペーターは著名な経済学者ですが、実は民主主義についての考察でも有名です。彼は、

「民主主義において重要なのは、人民自ら物事を決めることではなく、人民が代表者を選ぶこと、そのものである」と述べています。

そして、選挙において票の獲得を目指した競争こそが、民主主義の本質であると主張しています。

やや極端な理論に思えますが、シュンペーターのこの理論は「エリート民主主義」と呼ばれています。

他、本書では主権者に強大な権限を与えるべきと主張したM.ウェーバーC.シュミット

「見捨てられた人々」にとって議会は憎しみの対象となると述べたハンナ・アーレント

平等な自由を目指すべきとしたロールズ

多元的な集団の競争によって民主主義を実現すべきとしたダールなどが紹介されています。

〜まとめ〜

以上、ザックリと本書の内容をまとめましたが、古代ギリシアに始まった民主主義が歩んできた道は平坦ではなく、長い間王政や共和制に追いやられる存在であったことは面白いですね。

今では、私たちは議会制民主主義こそが唯一の民主主義の形であると認識していますが、歴史的に見ると、議会制民主主義=民主主義という認識が固まってきたのはアメリカの独立以降であり、比較的最近のことである事がわかります。

その様な中で、ルソーやトクヴィルの主張には刺さるものがあるのではないでしょうか。

つまり、代表者を選んで満足するだけでなく、市民一人一人が日頃から活発な議論を行なっていく事もまた、民主主義の大切な側面であるという事です。

全て議会に任せれば良い、という考え方はある意味合理的なのですが、自分たちの意見が議会で全く反映されていないと感じたとき、無力感を覚えることになるかもしれません。

(現に、多くの人がそう感じているのではないでしょうか?)

「民主主義とは参加と責任のシステム」である。この事は肝に銘じたいところですね!

本書は民主主義の歴史が凝縮された一冊です。

気になった方は是非手にとって読んでみてください!