読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

ソロモンの指環[動物行動学入門]コンラート・ローレンツ

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ソロモンの指環 コンラート・ローレンツ 日高敏隆訳 早川書房 ¥740(+税)[動物行動学入門]

 

「刷り込み」などの理論で有名なノーベル賞受賞の動物行動学者、ローレンツが、けものや鳥、魚たちの生態をユーモアとシンパシー溢れる筆致で描いた名作。本書では、研究者の立場からローレンツが動物と共に過ごし、観察することで得られた発見が書かれています。

動物行動学とは、文字通り動物の行動について研究するものですが、これを学問として確立したのはローレンツであり、その最初の一冊がこの「ソロモンの指環」です。

本書を読んでいるうちに読者には十分過ぎるほど伝わりますが、あらゆる動物と一緒に四六時中生活するのは想像以上に大変なことです。本書では、ローレンツの苦労もたくさん書かれているのですが、同時に動物への深い愛も伝わってきます。さらに、動物の観察だけでなく、人間社会の洞察も描かれている点が本書の素晴らしいところです。

刊行から70年経った今でも私たちに驚きと感動を与えてくれる名著。是非多くの人に読んでほしいです。読了後は動物を見る目がきっと変わることでしょう!

 

●本書のタイトルについて

本書は「ソロモンの指環」というちょっと変わったタイトルをしていますね。タイトルだけで動物行動学の本とはなかなか理解できないと思います。私自身、最初タイトルを聞いた時は小説であると思ってしまいました。

実は、タイトルは旧約聖書の列王記に由来しています。

 

旧約聖書の述べるところにしたがえば、ソロモン王はけものや鳥や魚や地を這うものどもと語ったという。そんなことは私にだってできる。ただこの古代の王様のように、ありとあらゆる動物と語るわけにはいかないだけだ。その点では私はとてもソロモンにはかなわない。けれど私は、自分のよく知っている動物となら、魔法の指環などなくても話ができる。この点では私のほうがソロモンより1枚うわてである。(131頁)

 

 ソロモン王といえば、イスラエルペリシテ人などの外的から守り、国家としての地位を確固たるものにしたダヴィデの後の王であり、貿易などを通じてイスラエルに繁栄をもたらした人物です。また、ソロモン王は聡明な人物として有名ですね。ソロモン王が統治していた当時はまさにイスラエル繁栄の最盛期で「ソロモンの栄華」と言われた時代でした。しかし、このソロモン王の時代を境として、民衆は他の民族との交流の中で異教徒の信じる神を信じたり、ソロモン自身も1000人近くの妾をもつなど、秩序は徐々に乱れていき、やがて国家の断裂、崩壊という流れになってしまうのですが。。

 

さて、そのソロモン王ですが、本書にもある通り、魔法の指環を通じてあらゆる動物と語ることができた、というエピソードが聖書の中にあるようです。ローレンツはそれを引き合いに出し、自分は魔法の指環などなくとも、動物と心を通わせることができるということを言っているのです。

 

●動物たちへの憤懣

まず、本書は動物たちとの生活のいやな面について書かれています。ローレンツは、動物たちと生活するうえでいやな面をどれほど我慢できるかによって、その人がどれくらい動物好きなのかが分かるといいます。たとえば、

・庭に干した洗濯物のボタンを片っ端から食いちぎってまわるオウム

・青い実を食べた小鳥がそこらじゅうのカーテンや家具に、洗っても抜けない青いしみをつけてまわる。

・ハイイロガンが毎晩寝室に入り込んで夜を過ごし、朝になると毎朝外に向かって飛び出していく。

こういった大変なことが永遠に起きる日々だといいます。

それでも、ローレンツは動物たちを金網や檻には決していれなかったといいます。

それはなぜか?

知能の発達した高等動物の生活を正しく知ろうとするためには、彼らを自由にさせておくことが必要だからです。

檻の中のサルや大型のインコは心理的にも損なわれていて、しょんぼりしている一方、自由な世界では、信じられないほど活発でたのしそうで、興味深いいきものになるといいます。(15頁)

 

・逆檻の原理

自由な動物たちはローレンツ一家によくなついていて、決して遠ざかろうとはしなかったといいます。

「あ、鳥が籠からにげちゃった。はやく窓をしめて!」-よその家ならこう叫ぶ。私の家では反対だ。-「おうい、窓を閉めてくれ!オウムが(カラスが、オマキザルが)はいってくる」。

 

また、ローレンツの妻が発明した、「逆檻の原理」というところも面白いです。ローレンツ一家の中では、檻は通常とは真逆の意味を持っていたといいます。

ローレンツの娘がまだ小さかったころ、大型で危険な動物ー数羽のワタリガラス、二羽のオオバタン、二匹のマングースキツネザル、一匹のオマキザルを買っていたそうですが、それらの動物は危険で、娘といっしょにさせることができなかったことから、ローレンツの妻はなんと、大きな檻をつくって、娘をその中に入れたというのです。

 

・こうした憤懣をうめあわせてくれるもの

しかし、こうした、高くつく憤懣も、埋め合わせてくれるものがあるといいます。

逃げようとすればいつでも逃げられるのに、私のそばにとどまっている、それも私への愛着からとどまっている動物たち、それも私への愛着からとどまっている動物たち、それが私にとってはたまらない魅力なのだ。(21頁

 

ローレンツが動物たちを自由にさせている理由がこの一文からわかりますね。すなわち、彼にとって動物は単なる研究対象ではなく、愛の対象であり、友であるということです。

さらに、ローレンツが飼っていたワタリガラスは、彼らの声にローレンツが応えると、大空から舞い降り、ふわりと肩にとまったといいます。その瞬間、ローレンツには彼らに本が引き裂かれたことなどもすべて償われたように感じたそうです。

 

●永遠にかわらぬ友-コクマルガラス

本書では、ローレンツが長く生活を共にしてきた動物として、コクマルガラスが紹介されています。

コクマルガラスは非常に発達した社会生活を営む鳥ですが、ローレンスが最初のヒナを育ててから、数十年にわたってローレンスの家の屋根にやってきてはヒナを返す関係性になったそうです。最初のヒナは鳴き声から「チョック」となずけられ、ローレンスと散歩やサイクリングに出かけました。チョックからコクマルガラスは徐々に増えていき、ローレンスは10羽程度のコクマルガラスを飼育する中で、彼らから多くの生態を学ぶことになりました。

たとえば、

・はばたいていく黒い翼を見ると、本能的に「いっしょに飛んで来い」という意味に理解し、飛んでいきたい衝動に駆られる。

コクマルガラスの群れは、年長のコクマルガラスを中心に行動する。どの方向に飛ぶか、帰る方向はどこかなど。

コクマルガラスカササギやカモなどとは異なり、どの動物が天敵となるかを年長のコクマルガラスから学ぶ。

・自分の仲間がつかまったのを目撃したとき、コクマルガラスは「ギャアギャア」という警戒音を発して激しく攻撃する。

 

特に、一度「ギャアギャア反応」を起こさせたら最後、いかにコクマルガラスが馴れていようと、永久に感情を害してしまうようです。

 

同じ鳥類でも暮らしぶりは全く異なります。仲間との関係性や本能的な反応まで。カラス類は非常に賢い動物という印象はありますが、高度に社会生活を営む動物であるということは驚きです。

 

また、彼らのコミュニケーション方法は人間でいうところの言語とは全く異なることも記されています。カラスの渡りの群れは、巣に戻るか、それとも飛び続けるか、「全体の生理的気分の割合」で判断しています。コクマルガラスが「キャア」と叫ぶときは遠くに飛ぼうという生理的気分にあるとき、「キュウ-」は家へということを強調しているといいます。(122頁)

そうした「キャア」気分か、「キュウ」気分か、そうした生理的気分が8割方に達したとき、それが雪崩のように広がり、一斉に遠くに飛んでいくか、家に帰っていくようです。

 

●ガンの子マルティナ

ソロモンの指環の中でひと際感動的な場面がこの章です。ハイイロガンのヒナの世話から、「刷り込み」という概念を発見したシーンは感動的です。

ある日、孵卵器から一羽のハイイロガンのヒナがかえりました。

少し長いですが引用します。

彼女は頭をすこしかしげ、大きな黒い目で私を見上げて、じっとみつめる。そのとき彼女はかならず片目で見た。たいていの鳥の例にもれず、ハイイロガンも何かをちゃんと見定めようとするときはかならず片目で見るのである。長い間、じつに長い間、ガンの子は私をみつめていた。私がちょっと動いて何かしゃべったとたん、この緊張は瞬時にしてくずれ、ちっぽけなガンは私にあいさつをはじめた。つまり彼女は首を下げて私のほうへぐっとのばし、すごく早口にハイイロガン語の気分感情語をもらしたのである。(中略)たとえハイイロガンの儀式を知りつくしている人でさえ、これが彼女の人生いや雁生初のあいさつだということは見抜けなかったろう。そして彼女の黒い瞳でじっとみつめられたとき逃げださなかったばかりに、不用意にふたことみことなにか口を開いて彼女の最初のあいさつを解発してしまったばっかりに、私がどれほど思い義務をしょいこんでしまったか、さすがの私もづかなかったのである。(159-160頁)。

 

ローレンスはヒナの瞳を見て、何かことばを発し、のあいさつを誘発させたことにより、「刷り込み」が起こりました。ローレンスは一羽のガチョウにそのハイイロガンの世話をさせようとしましたが、ヒナはヴィヴィヴィヴィ・・(ハイイロガンの気分感情語で「私はここよ、あなたはどこ?」)と発し、ローレンスのもとに走り寄ってきました。実に感動的な場面です。

あわれなヒナは首をのばし、ひっきりなしに泣きながら、ガチョウと私の中間あたりに立ち止まっていた。私はちょっと体を動かした。とたんに泣き声はやみ、ガンの子は首を伸ばしたまま、必死になってヴィヴィヴィヴィ・・とあいさつしながら、私めがけて走ってきた。それはじつに感動的な一瞬であった。(161頁)

 

ローレンスは彼女をマルティナと名付け、我が子のように一緒に暮らすようになります。驚くべきことに、ローレンツはハイイロガン語を操っていたといいます。

マルティナと一緒に外出した際、ローレンツは「ガギガ」(ハイイロガン語で「歩くよ、歩くよ、飛ばないよ。」を意味。)と発すると、マルティナはローレンツに向かって一目散に歩いていったといいます。周囲の人々はさぞ驚いたことでしょう。

 

●モラルと武器

ここでは、動物たちの同族に対しての攻撃とその抑制が書かれています。私たちは肉食動物は凶暴で残虐、草食動物は従順で大人しいというイメージを持っています。しかし、それはローレンツに言わせてみれば、全くの誤りです。例えば、肉食獣のオオカミは、喧嘩で負けた相手にどのような態度をとるか、驚くべきことに、鋭い牙を持つ相手に向けて、自らの首を差し出して、降伏のポーズをとるのです。そこには、強い「抑制」が働いています。

一方で、草食動物のノロジカは、「角」という武器を持っていますが、オオカミのような抑制ははたらきません。したがって彼らはその武器を「自由に」使えるのです。そのため、しばしば、同族(メスでさえも)を殺してしまうという事態を引き起こします。

このように、食性だけでは、凶暴性というものは判断できないとわかります。

また、オオカミのそうした抑制行動に関して、ローレンスは次のように評しています。

私はここで感覚的な価値判断を下したい。オオカミが噛みつけないということを私は感動的ですばらしいことだと思う。だが、相手がそれに信頼しきっているということはそれにもましてすばらしいことではないだろうか。一匹の動物が、自分の命を騎士道的な作法に託すのだ!ここにはわれわれ人間の学ぶべきことがある。少なくとも私は、それまでどうしても反抗の念を禁じえなかった聖書のあの美しい、そしてしばしば誤解されているあのことばー「人もし汝の右の頬をうたば、左をもむけよ」ということばに、新しい、より深い意味を汲み取った。オオカミが私に教えてくれたのだ。敵に反対の頬を差し出すのは、もっと打たせるためではない。打たせないためにそうするのだ!(277頁)

 

 また、人間に対しても次のように洞察しています。

自分の体とは無関係に発達した武器を持つ動物がたった一ついる。したがってこの動物が生まれつきもっている種特有の行動様式はこの武器の使い方をまるで知らない。この動物は人間である。(278頁)

 人間には鋭い爪も牙もありません。しかし、自らの身体に寄らない恐ろしい破壊力を持った武器を使うようになり、地球上で人間に敵う動物はいなくなりました。しかし、ヒトが武器を使いだしたのは、進化の歴史から見ると、ごく最近のことです。そんな短い期間のうちに、抑制の行動様式が備わるはずもなく、結果的に歯止めがきかない状況です。われわれが動物に学ばなければならないことは多いのです。

●感想

本書は単なる動物行動学入門の書ではありませんでした。筆者ローレンツの動物に注がれる暖かい眼差しが最後まで貫かれております。

本書は既に古典というべき作品ですが、現代、そしてこれからも輝きを失うことはないでしょう。愛情をもって接すれば、動物たちはそれに応えてくれるし、彼らと心を通じ合わせるのも不可能ではない。ローレンツはそのことを私たちに示してくれたのだと思います。

社会や人間関係は人類史的には数千年で大きく変化していっていますが、これは進化論的にはすさまじいスピードで、人間がそれに対応しきれなくなり、様々な歪が生じてしまうのは当然であると思います。今、人間が動物たちから学んでいくべきこともたくさんあるのではないでしょうか。本書を読んでそんな感想を持ちました。

老若男女問わず様々な人におすすめの本です!