アドラー心理学入門(ベスト新書)岸見一郎 の内容・要約など
アドラー心理学入門(岸見一郎著)
フロイト、ユングと並び、世界三大学者の一人に数えられるアドラーは「嫌われる勇気」のベストセラーにより、一躍有名となりました。
その「嫌われる勇気」の著者の岸見一郎さんがアドラー心理学の入門書として書かれたのが本書、「アドラー心理学入門」です。
ギリシア哲学が専門である岸見一郎さんが、ギリシア哲学とアドラー心理学を関連付け、平易な表現で解説しているのが本書最大の特徴です。
【アドラー心理学とは】
本書のテーマ、「アドラー心理学」とは、多くの人が「心理学」と聞いて思い浮かべるような実験・観察に基づいて人間心理を探究していく様な学問とは性質を異にしています。対人関係についての鋭い洞察、個人の劣等感、教育、幸福にまで話が及びます。
全体論、目的論、分割できない個人という意味で、個人心理学とも呼ばれます。(individual psychology)
他者信頼、共同体の一員としての個人、という考えが核にあり、後の心理学、自己啓発に大きな影響を与えました。(デール・カーネギーやスティーブン.R.コビーなど。)
幸福に対して一つの答えをもっているというのがアドラー心理学の特徴の一つで、心理学という枠を超えた奥深さがあります。
【アドラーについて】
アドラーは1870年に6人兄弟の2番目としてウィーン近郊で生まれました。かつてはフロイトとともに活動をしていましたが、学説の対立、研究の方向性の違いなどが影響して袂を分かつことになりました。
幼少期はくる病を患っていて病弱であり、弟はわずか一歳でジフテリアで亡くなりました。アドラーはそのような経験を経て医者になる決意をしたといわれています。
中でも、健康・病気と社会的要因との関係を研究する、社会医学に興味を持ちました。
医者になったアドラーはフロイト研究会に招かれ、ともに活動するようになりました。
しかし、フロイトは研究を重視し、アドラーは診療を重視するというスタンスの違い、
また、フロイトのエディプスコンプレックスなどの理論にアドラーが反発したことなどを原因として、フロイトとアドラーの距離は徐々に離れていくことになります。
第一次世界大戦には軍医として従軍、社会主義への関心を抱いておりましたが、ロシア革命の現実を目の当たりにして、マルクス主義には失望し、アドラーは育児や教育に目を向け、ウィーンに児童相談所を設置し、カウンセリングなどを行うようになります。
第二次世界大戦が始まり、ナチスドイツがユダヤ人への迫害を強めていくと、アドラーはアメリカに亡命し、以後、活動の拠点をアメリカに移しました。
その後、ドライカースという人物がアメリカにおけるアドラー心理学の普及を担うことになりました。
アドラーは多くの人と議論を交わすのが好きで、自分の理論を独占しようとはしなかったといいます。
「私の心理学は全ての人のものだ。」という言葉に表されています。
【育児・教育】
育児と教育はアドラー心理学の中でも中心的な位置づけを占めるものです。
育児、教育に関して、アドラーはかなりはっきりとした目標を掲げています。
一、自立すること
二、社会と調和して暮らすこと
それを支える心理面の目標として、
一、私には能力があるという意識
二、人々は私の仲間であるという意識
行動は信念に基づいていると考えるアドラー心理学では、適切な行動をとるために、
それを支える適切な心理を育てていく必要性を訴えています。
この適切な心理=ライフスタイルと呼んでいます。
この心理は我々が通常パーソナリティ(性格)と呼んでいるものに相当しますが、なぜあえてライフスタイルと呼んでいるのかといえば、変容可能という意味を持たせる意味があるからです。
【アドラー心理学の基本概念】
〇すべての悩みは対人関係
アドラー心理学では、前提として、すべての悩みは対人関係と考えます。もし、世界に自分一人しかいなかったら、悩みというものは生じないのだ、ということを前提とし、よい対人関係をどのように築いていくか、というのがアドラー心理学の中心テーマです。
〇目的論
アドラー心理学は原因論ではなく、目的論的なものの見方をしていく点が特徴です。
人間が過去に縛られてしまう理由は、そうあることを自分で選択した結果であるといいます。人間は同じ経験をしても同じように解釈をする訳ではありません。経験への意味付けは人によって異なります。
挑戦しない理由として、過去の経験を持ち出すことがあるかもしれません。また、アドラーは、あらゆる子どもの問題行動は、大人たちの注意を引こうとして行われるといいます。
この目的論を通して世の中を見ると、あらゆるものを環境のせいにはできなくなります。強い抑うつやPTSDなどの治療は原因論的に考えられています。精神的な病の原因は過去〇〇のようなことがあったからだ、というような分析をしていく訳です。しかし、これは人がどのような場面においても選択しうるということを見逃している、とアドラーはいいます。人は単に外界の事象に反応するだけのものではなく、主体的に世界を解釈しているといるというのが、アドラー的な人間観なのです。
ここがギリシア哲学を研究している岸見さんならではの視点ですが、このような目的論の考えは古代ギリシアにおいても存在していた考えであるといいます。
古代ギリシア哲学者の巨人、アリストテレスは物体を存在せしめている要因について、かなり細かい分析を行いました。
例えば、木製のテーブルがあったとします。アリストテレスは物体を存在せしめている要因として、4つの要因を考えました。
一、質料因(その物体が何でできているか)
テーブルの質料因は、木、釘ということになります。
二、形相因(その物体であるための本質的な構造)
テーブルの形相因は、四つの脚があり、背もたれがある、ということになります。
三、動力因(その物体の存在を引き起こしたもの)
テーブルの動力因は、木材を適切な大きさに削り、ハンマーなどを用いて組み立てる、ということになります。
四、目的因(その物体の存在目的)
人が座って作業を行うことといったことがテーブルが存在する目的となります。
目的論は「目的因」に相当するものですが、アドラーは人間の心理や感情について、目的に着目する形で考え、カウンセリングの場で応用していきました。
感情や心、ライフスタイルなどに個人が支配されるのではなく、個人が何らかの目的で使う、と考えました。
〇劣等コンプレックス
アドラーといえば、劣等感やトラウマに関する洞察が有名です。通常のカウンセリングでは、個人の劣等感やトラウマの原因となった経験は何か、ということを深堀りしていきますが、アドラーはそのように原因を探るアプローチは採用しませんでした。
アドラーは、○○だから○○できない、という様な心のありようを「劣等コンプレックス」と呼びました。コンプレックスとは、倒錯した感情のことを指します。一方で劣等感それ自体は人間の正常な心のありようとして、否定していません。
劣等感も、「今の自分から成長しよう」という様な正常な方向性で用いられれば、プラスとなりうる、と指摘しています。
しかし、アドラーは○○だから○○できない、という心は単なる劣等感ではなく、一種のコンプレックスであるとしました。
また、人生の課題から逃れるためにトラウマを用いることを「人生の嘘」であると厳しい言葉を用いて退けました。
どのようなショッキングな過去の出来事も、それ自体が必ずトラウマを引き起こすということはできません。どのような過去があっても、人間は課題に立ち向かっていける存在であるということをアドラーは説いたのです。
〇課題の分離
アドラー心理学の基本理念の中に、自分と他者の課題を明確に分離する、という「課題の分離」があります。あらゆる人間関係の軋轢は、他者の課題に土足で踏み込むことに起因するというアドラー心理学ならではの概念です。
例えば、アドラーは子どもの進路に親が過度な干渉をするといったことを批判します。
その課題について、「最終的な責任を引き受けるもの」はだれかを考え、「最終的な責任を引き受けない者」が過度な干渉をすべきではないと考えます。
課題の分離は複雑に絡み合った人間関係を解きほぐし、風通しのよいものにするために有用な考え方です。
〇共同体感覚
自分が、世界、国家、地域コミュニティ、自然、あらゆるものと合一しているような感覚を共同体感覚といいます。
この共同体感覚を育むためには、ありのままの自分を認める自己受容、他者を信頼する他者信頼、積極的に社会に関わっていく他者貢献が欠かせないといいます。
そして、この共同体感覚を育むことがアドラー心理学のゴールであるとされています。
【感想・考察】
岸見一郎さんの専門のギリシア哲学とアドラー心理学とを融合しているのが本書の大きな特徴です。岸見一郎さんがアドラー心理学の研究を行うようになった経緯は本書にも記載されていますが、ドライカース氏によるアドラー心理学に関する講演を聞いたことがきっかけだそうです。
哲学者として幸福に関する洞察をしてきた岸見一郎さんは、「今まで自分は幸福について研究してきたが、自分は幸福ではなかったのかもしれない」ということに思い至り、アドラー心理学についての研究をスタートさせたと記載されています。
「嫌われる勇気」のロングセラーにより、アドラー心理学は一世を風靡した感もあります。書店に行くとアドラー心理学の関連書籍をよく目にするようになりました。その中にはアドラー心理学を活用して「理想の子どもに育てる」「理想の部下に育成する」といった、本来のアドラーの教えとは異なる内容のものも少なくありません。
本書を読むとわかりますが、アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、「自分が変わるため」の心理学なのです。
当然、耳障りのよい話ばかりではなく、厳しい話も多いです。何しろ、アドラー心理学によれば、あらゆる言い訳や過去や境遇のせいにすることが「人生の嘘」として断じられてしまう訳ですから。しかし、ポジティブな解釈をすれば、「過去など関係ない、人は今この瞬間から幸福になることができる」という力強く、希望に満ちた思想でもあります。
SNS全盛期の今、人々の承認欲求は益々強くなる傾向にあると思います。しかし、アドラーが現代に生きていたら、こうした状況を見て、「自分を必要以上に際立たせることは問題行動と変わらない」と言ったに違いありません。自分のことを認めることには必ずしも他者は必要としないのです。
アドラーが現代においてブームになったのは単なる偶然ではないと思います。それだけ、複雑な人間関係に悩む人が増えているからこそ、アドラーの対人関係に関する深い洞察が人々を惹きつけているのでしょう。