読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル(みすず書房)霜山徳爾訳

f:id:kinnikuman01:20201016231756j:image

ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」

みすず書房 霜山徳爾訳

 


わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ

 

●本の概要

原題は「強制収容所におけるある心理学者の体験」

オーストリア・ウィーン在住の精神科医であったヴィクトール・E・フランクルは、ユダヤ人であるというだけの理由でナチスに捕らえられ、過酷な強制収容所での生活を余儀なくされました。強制収容所という極限の環境で人間の精神状態はどのように変化していくのか、何に絶望し、何に希望を見出すようになるのか、リアルな筆致で描き出しています。

1941年、ヒトラーは非ドイツ国民で国家・党に対して反逆の疑いのあるもの(実際には反逆の疑いがなくても)は家族まるごと収容所に拘禁すべし、という命令を下しました。夜のうちに、霧にまかれたかのように一家族まるごと消える事態が多発したことから、通称、「夜と霧」命令と呼ばれました。本書のタイトルはこれに由来しています。

 

●最初の選別

数ある収容所の中でも、アウシュビッツは「絶滅収容所」として格別に恐れられていたといいます。フランクルアウシュビッツに到着した時の印象では、95%の人は到着後まもなくガス室に送られ、毒殺されていたようです。フランクルは幸運にも残り5%のうちに入り、生き残りました。数日後。ダッハウ強制収容所に移され、テュルクハイム収容所に移され、終戦を迎えました。

アウシュビッツに列車が到着した場面、最初の選別が行われる場面はとりわけ印象的です。

そして列車はいまや、明らかに、かなり大きな停車場にすべりこみ始めた。貨車の中で不安に待っている人々の群の中から突然一つの叫びがあがった。「ここに立札があるーアウシュビッツだ!」各人はこの瞬間、どんなに心臓が止まるかを感じざるを得なかった。アウシュビッツは一つの概念だった。すなわちはっきりと分からないけれども、しかしそれだけに一層恐ろしいガスかまど、火葬場、集団殺害などの観念の総体だったのだった! 

 

フランクルたちはアウシュビッツ到着後、長い行列を組まされ、選抜を担当する親衛隊将校の前に一人ずつ押し出され、人差し指で右、左と指図され、グループ分けされました。概ねは右でフランクルは数少ない左に選ばれました。フランクルは後にこの意味を知りました。それは最初の選別だったのです!

 

●生きるための「無感動」

その後、フランクルたちはダッハウ収容所に移送され、極寒の中、過酷な労働などに従事します。その際、フランクルが実感したのは、人間とはいざとなると想像以上の適応能力を発揮するというものです。寒い時期、寝具がなくとも風邪も引かず、汚物で汚れた場所でも平気で眠るといった図太さを獲得していったといいます。

中でも、フランクルが注目したのは、多くの人が何を見ても何も感じない、「無感動」「無感覚」「無関心」という状態になっていった事です。フランクル自身もいつの間にか、大変な「感情の鈍麻」状態に陥っていきている事に気付きます。何と、数時間前まで話をしていた仲間の死体を目の当たりにしても何も感じる事なく食事をしていたといいます。そして、そんな自分の無感覚状態に驚嘆したと述べています。

このような状態をフランクルは防御反応、「心の装甲」状態と述べています。

 

●感受性の豊かな人が生き延びた

多くの人が心の装甲状態に陥る中、なお、彼等の関心を引くものが2つあったといいます。一つは戦況や政治状況、もう一つは宗教的な関心であったという事です。特に、収容所では宗教的な活動は非常に活発であったと述べています。

新たに入ってきた囚人はそこの宗教的感覚の活発さと深さにしばしば感動しないではいられなかった。この点においては、われわれが遠い工事場から疲れ、飢え、凍え、びっしょり濡れたボロを着て、収容所に送り出される時にのせられる暗い閉ざされた牛の運搬貨車の中や、また収容所のバラックの隅で体験することのできる一寸した祈りや礼拝は最も印象的なものだった。

殺伐とした日々の中でも祈る事、感謝することを忘れなかった人々は生き残る可能性も高かったというのです。

 

●極限状態で人は天使と悪魔に分かれた

フランクル強制収容所で発見した真実。それは、極限状態の中で死にゆく仲間のパンや靴を奪い取るものが居た一方で、自らも餓死寸前になりながらも、仲間にパンを与え、励ましの言葉をかけ続けた人がいたという事実です。フランクルはこのような状況でも人間には自己決定する力があると言うのです。

典型的な「収容所囚人」になるか、あるいはここにおいてもなお人間として留まり、人間としての尊厳を守る一人の人間になるかという決断である。

 

感想

本書は「言語を絶する感動」と評され、時代を超え、国を超え、多くの人々に読み継がれてきたベストセラーです。何故、これほど多くの人に読み継がれてきたのか。それは、本書が強制収容所での悲惨な体験を語っているにも関わらず、生きることに対する希望を与えてくれるような書だからでしょう。フランクルは収容所にいる最中においても、精神病で苦しんでいる人のため、本を出版することを自らの使命であると思い続けていたようです。彼は必死でかき集めた僅かな紙の切れ端に、出版するつもりの本の内容を書き留めていたといいます。つらい状況にあっても、「私を待っている人がいる、私がこの人生でなすべき何かがある」と考えるだけで未来に希望を持つ事が出来る。非常に勇気付けられる内容です。

また、どんな状況にあっても、人間は自分の生きる態度を決定する事が出来る、というのもフランクルは語っています。自らが飢餓状態にも関わらず、他人にパンを分け与えるというエピソードには非常に胸を打たれます。

この世の地獄とも言える経験をしたにも関わらず、最後まで生きる希望を捨てなかった、そして、人間への信頼を持ち続けたフランクルの言葉は胸に響いてきます。繰り返し読み返したい名著です。