「変身」カフカ(光文社古典新訳文庫)
「変身/掟の前で」他2編 カフカ
「変身」、「掟の前で」、「判決」、「アカデミーで報告する」の4編が収録されています。
今回は有名な「変身」について、感想などを綴ってみます!
小説の冒頭は次のように始まります。
ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっていることに気がついた。甲羅みたいに固い背中をして、あおむけに寝ている。頭をちょっともちあげてみると、アーチ状の段々になった、ドームのような茶色い腹が見える。
まず、主人公のグレーゴルが虫になったという所から始まります。甲羅のような硬い背中、アーチ状の段々になった、ドーム状の腹といった描写から、小説の中でグレーゴルは夢の中ではなく、現実の出来事として、虫になってしまった事が分かります。衝撃的な虫への「変身」。ですが、グレーゴルは人間としての知能や感情を持ったまま、身体だけ虫に変身してしまうのです。
●あらすじ
グレーゴルは生地を売るセールスマンで、出張ばかりの生活を送っていました。しかし、グレーゴルはその仕事に満足していた訳ではありません。外では上辺だけの人間関係、会社に戻っても面倒な人間関係に追われ、精神的に疲れていました。
ある朝、いつものように早起きして列車に乗って仕事に向かおうと思っていたグレーゴルですが、うまく寝返りがうてないことに気づき、やがて自分の身体の変化に気づきます。やっとの思いでベッドから出て部屋から出ることに成功したグレーゴルでしたが、、
グレーゴルが仮病を使ったと思い込み、わざわざ家まで来たマネージャーは、変身したグレーゴルの姿を見ると逃げ出してしまいます。父親は杖を持ちながらグレーゴルを威嚇し、再び部屋へと閉じ込めてしまいます。母親はグレーゴルが病気になったのではないかと心配していましたが、次第に関心は薄れていきます。妹、グレーテは部屋の掃除やグレーゴルに水や「餌」の用意をしてくれましたが、最終的には見放されてしまいます。
グレーゴルはある日、父親からリンゴを投げつけられたことにより怪我を負い、それが原因で死んでしまいます。グレーゴルの死後、家族は何かが吹っ切れたかの様に新しい生活をスタートさせるのでした。。
●感想・考察
ごくごく普通のセールスマンがある日突然虫になってしまう。この短くも奇怪な短編小説は一体何の寓話なのでしょうか??
思うに、この「変身」という小説は「人間疎外」がテーマなのでしょう。虫になった途端、グレーゴルは様々なものから疎外されていきます。まず、社会から切り離され、挙げ句の果てには家族さえからも見捨てられる。因みに、カフカは「変身」出版前、出版社から扉絵に巨大な虫を描くことを呈示されたそうですが、カフカは頑なに拒否したそうです。
このことからも、虫に変身するというのも一種の比喩として読むべきでしょう。
カフカ自身、変身を出版した頃は保険のセールスマンと作家の二足の草鞋で精神的にかなり疲労していたようです。グレーゴルの虫への変身は作者自身の願望の現れかもしれません。確かに、虫になってしまえば働かなくてもいいですよね。
つまり、虫になった状態=働くことができなくなった状態を指すものと解釈が出来ると思います。しかし、働かなくなったとしても安楽の時が訪れるかというとそういう訳ではありません。社会から隔絶され、家庭での立場も徐々になくなっていく。。
まさに、人間社会の生き辛さを書いた様な小説です。資本主義社会は人間に物質的な豊かさをもたらしましたが、反対にそこで失ったものは何だったか。企業は更なる利益を生むべく、労働者には、会社に従順であること、より多くの成果をもたらすことを課していきます。また、労働者自身も家庭を維持していくためには働き続けていかなければなりません。
カフカ自身、資本主義社会で生きていく上での息苦しさを感じていたのではないでしょうか。
私自身、少年の頃、庭先のテントウムシを見て、「テントウムシは面倒な人間関係が無くていいなぁ。テントウムシになりたいなぁ。」などと思った事があります。しかし、今考えてみると、テントウムシになったらなったで鳥に狙われるなど、厳しい環境に身を晒すことになるため、決して楽などとは言えません。
本書では理不尽に晒され続ける主人公グレーゴルですが、あまり悲劇的には描かれていません。むしろ、グレーゴルの趣向や五感が段々と虫に変化していく描写は滑稽でさえあります。「人生は悲劇は近くで見ると悲劇、遠くから見たら喜劇」ということなのでしょうか。
このように考えると、人間誰しもが変身願望を持っているのではないかとさえ思えてきます。
あなたには変身願望はありますか??