読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

ツァラトゥストラはこう言った(岩波文庫(下))ニーチェ の内容・考察

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ーよろこびはすべての事物の永遠を欲してやまぬ。

 深い深い永遠を欲してやまぬ。-

 

ツァラトゥストラ上巻は「超人」がメインテーマでしたが、第三部、第四部の下巻では、ツァラトゥストラの口から永遠回帰の思想が語られます。

 

永遠回帰

永遠回帰とは、人生のあらゆるものが永遠にそのままそっくり戻ってくることを指します。しかし、ニーチェは、その思想を受け入れることは簡単なことではないと語っています。ニーチェ自身は、この思想はあなたを「打ち砕くかもしれない」と語っています。

この永遠回帰の思想は、「忘れてしまいたい最悪の過去も戻ってくる」ことを指します。こんな過去はなかったことにしたい、という思いで頑張っている人は絶望してしまうかもしれません。

ツァラトゥストラ第三部において、いかにこの、「永遠回帰」の思想が受け入れがたいものであるかが語られています。

ツァラトゥストラ永遠回帰の思想を受け入れられずに苦しみます。この思想に向き合わなければならないと決意し、山に籠ります。洞窟の中で7日間も死んだような状態が続きます。

ああ、人間における最悪といってもなんと小さい!ああ、人間における最善といっても何と小さい!人間に対する憎悪-これがわたしの喉の中に這いこんだのだ。(中略)お前が飽き飽きしている人間、あの小さな人間たちは永遠に繰り返しやってくるのだ。

ツァラトゥストラは、「こんなにつまらない、卑小な人間たちが繰り返しやってくる、こんなにつまらない世界を生きなければならないのか!」と絶望しているのです。

 

〇なぜ、永遠回帰なのか

繰り返し絶望がやってくるような「永遠回帰」の思想を受け入れることにはどんな意味があるのでしょうか。

キリスト教は「あの世の物語」を人々に提供しました。しかし、ニーチェによれば、「神は死んだ」のですから、あの世の物語に代わって生きることを肯定するための新たな物語を作る必要がありました。それが永遠回帰の物語だったのです。

永遠回帰の思想は全ての「たら」「れば」を無効にします。「お金持ちに生まれてさえいれば」、「もっと良い容姿で生まれていれば」そんな無力感を無効にし、自分の人生を「よし、もう一度!」と肯定するように向かわせる。それが永遠回帰の思想の持つ意味です。

ルサンチマンーどうすることもできない無力感から来る復讐心の克服こそがニーチェのテーマでした。ニーチェルサンチマンの事を「無力から来る意志の歯ぎしり」と表現しています。

しかも、ニーチェはこうした無力を仕方なしに受け入れるだけではダメで、「私がそれを欲した」と言えるようにならなければならないと言っています。

これは相当難しい事ですが、苦しい状況下でも、どうやって悦びを汲み取っていくかを考えるしかないとニーチェは言っているのです。

 

〇祝福できないのなら、呪うことを学べ

永遠回帰を受け入れよ=過去のつらい出来事やトラウマも全て受け入れ、生を肯定せよと言われても、直ぐに状況を受け入れるのは難しいと思います。

どうしても、恨む気持ちから抜け出せない時、ニーチェは何と言ったか。驚くことに、

「呪いなさい!」といいました。

「祝福することのできない者は、呪うことを学ぶべきだ!」ニーチェ

辛かった出来事は、仕方なく受け入れるのではなく、「欲する」状態にならなければならない。しかし、直ぐに最悪の状況を受け入れられないのであれば、呪って叫ぶべきだとニーチェは言うのです。

永遠回帰や超人に比べてあまり注目されていないニーチェの言葉ですが、ここは非常に面白いポイントだと思います。

永遠回帰の思想を受け入れることは簡単ではありません。自分の鬱屈した気持ちを無理やり押し込めたり、ごまかしたりするくらいなら、「バカヤロー!」と思い切り叫んだほうがいい。非常に健全な考え方ではないでしょうか。

 

〇魂がたった一度でも幸福のあまり震えたなら

ニーチェは、「悦びを汲み取って生きよ!」と繰り返し述べています。ツァラトゥストラの言葉からも、それは読み取ることができます。

あなたがたはかつて一つのよろこびに対して「然り」と肯定したことがあるか?おお、わたしの友人たちよ。もしそうだったら、あなたがたはまたすべての苦痛に対しても「然り」と言ったことになる。万物は鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされているのだから。

 一つでも心からうれしいことがあって、それを肯定することができたら、ほかの苦悩もすべて引きつれて、人生を肯定したことになるとニーチェは言っているのです。

「ほんとうに素敵なことがあったなら、これからの人生でも素敵なことを汲み取って生きていったほうがよい。」

 〇ツァラトゥストラから読み取る永遠回帰

ツァラトゥストラはこう言った」本文からも、ニーチェ思想のメインテーマが「ルサンチマンの克服」にあること、永遠回帰の思想が垣間見れる箇所がいくつかの場面で登場してきます。

ルサンチマンの比喩として、「重力の魔」が登場します。(第三部)

重力の魔=ルサンチマンの象徴として描かれています。重力の魔はツァラトゥストラを嘲ってこう言います。

あなたは知恵の石だ!あなたは自身を高く投げた、しかし投げられた石はすべてー落ちる!

 重力の魔とは、「こんなことしても意味が無い」と思うような気持ちですね。

それに対比するような形で、ツァラトゥストラは「勇気」について次のように語っています。

なぜなら勇気はこう言うからだ。「これが生きるということであったのか?よし!もう一度!」

また、この第三部では人間→超人になったことを象徴するようなシーンが描かれています。

ツァラトゥストラは、道すがら一人の牧人に遭遇しました。牧人の口からは一匹の黒くて重たい蛇が垂れ下がっており、苦しくのたうち回っていました。ツァラトゥストラは、蛇をつかんで思い切り引っ張りましたが、全くうまくいきません。そこで、ツァラトゥストラは叫びました!

「頭をかみ切るんだ!」

そして、牧人は蛇の頭を力強くかみ切り、蛇の頭を吐き捨てました。

その後、牧人は光に包まれた者となりました。

 この「光に包まれた者」というのはルサンチマンを克服し、超人になったものの比喩と思われます。

また、永遠回帰の思想が明確に表れるのは、第三部です。

わたしはふたたび来る。この太陽、この大地、この鷲、この蛇とともに。新しい人生、もしくはよりよい人生、もしくは似た人生に戻ってくるのではない。わたしは、永遠に繰り返して、細大漏らさず、そっくりそのままの人生にもどってくるのだ。繰り返し一切の事物の永遠回帰を教えるために。繰り返し大地と大いなる正午について語るために。繰り返し人間に超人を告知するために。第三章 「快癒に向かう者」

この人生が絶え間なく繰り返される=永遠回帰の思想がここに表れています。

第四部では、永遠回帰の肯定という思想を受け入れたツァラトゥストラが描かれています。

あなたがたはかつて、ある一度のことを二度あれと欲したことがあるなら、「これは気に入った。幸福よ!束の間よ!瞬間よ!」と一度だけ言ったことがあるなら、あなたがたは一切がもどってくることを欲したのだ! 

あなたがた永遠の者よ、この世を永遠に、常に愛しなさい!そして嘆きに対しても言うがいい。「終わってくれ、しかし戻ってきてくれ!」と。なぜなら、すべてのよろこびは永遠を欲するからだ。

すべてのよろこびは自己自身を欲しているからだ。それは断腸の悲しみをも欲する!おお苦痛よ!心臓よ、避けるがいい!(中略)しかと学びなさい、よろこびは永遠を欲するということを。

よろこびはすべての事物の永遠を欲してやまぬ。深い深い永遠を欲してやまぬ!

 〇おわりに

ツァラトゥストラはこう言った」のエネルギーに満ちた書です。気になった方はぜひ手に取ってみてください。

箴言に満ちており、理解が難しい箇所もありますが、意味を考えながら読み進めていくのも面白いです。