読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

ツァラトゥストラはこう言った(上)(岩波文庫)の内容・考察

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ツァラトゥストラはこう言った(上)ー フリードリヒ・ニーチェ岩波文庫

20世紀の哲学を語る上でニーチェは欠かせない存在です。「ツァラトゥストラはこう言った」はニーチェが晩年に書いた作品で、「超人思想」や「永遠回帰」といった、ニーチェの思想の核となる部分が書かれています。

 

【どんな本?】

ツァラトゥストラを通じて、ニーチェ思想の核となる「超人思想」や「永遠回帰」と言った思想が語られています。

因みに、ツァラトゥストラゾロアスター教の開祖、ゾロアスター(ザラシュストラ)のドイツ語読みです。

ニーチェがなぜ、ゾロアスターに仮託して自己の思想を描いたのか、本作の中身自体には影響しませんが、興味のある方は是非調べてみてください!

 

【どんな人におすすめ?】

哲学書は読んでみたいけど、あまり難しいものは嫌だ、長いものは嫌だ、という方、ニーチェ思想の核となる部分を理解したいという方におすすめです。

ツァラトゥストラはこう言った」は哲学書というよりは文学の様な形式をとっています。登場人物はツァラトゥストラ、森の聖者、牧人、綱渡師、道化師などいますが、ツァラトゥストラ以外は殆ど発言がありません。

ツァラトゥストラが語る内容=ニーチェ思想であり、ニーチェに思想に触れるための書であると言えると思います。

文体はルター版の聖書を基にしており、お世辞にも読みやすいわけではありません。ニーチェ自身、ツァラトゥストラの解説書にあたる本を執筆している程です。(この人を見よ、善悪の彼岸など。)それでも、文章の持つパワーは読んで実感

出来ると思います。

ストーリーも一応はあるのですが、後半になるにつれて、ほぼツァラトゥストラの発言内容のみになってしまうため、あまり気にする必要はないと思います。

 

【本の内容】

本の内容に若干触れてみたいと思います。

 

◯ 序説

ツァラトゥストラは30歳を超えた頃から、森の中で10年以上に渡り、隠遁生活にはいります。

そして、ある日、太陽に向かって語りかけます。

偉大なる天体よ!もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、あなたははたして幸福といえるだろうか!

この十年というもの、あなたはわたしの洞穴をさして登って来てくれた。(中略)

しかし、わたしたちがいて、毎朝あなたを待ち、あなたから溢れこぼれるものを受けとり、感謝して、あなたを祝福してきた。

見てください。あまりにもたくさんの蜜を集めた蜜蜂のように、このわたしもまた、自分の蓄えた知恵がわずらわしくなってきた。

いまは、知恵をもとめて差しのべられる手が、わたしには必要となってきた。

わたしは分配し、贈りたい。人間のなかの賢者たちに再びその愚かさを、貧者たちに再びおのれの富を悟らせてよろこばせたい。

こう語った後、ツァラトゥストラは再び山を下り、市民の中に入っていき、彼らに語りかけることを決意します。

山を下るツァラトゥストラは道中、山の中で永い隠遁生活を送る翁と出会います。

この翁は山を下ろうとするツァラトゥストラを引き止めようとします。

ツァラトゥストラは翁に対して、森の中で何をしているのか尋ねると、翁は、「歌を歌い、泣き、笑い、唸ることによって、神を讃えているのだ」と答えます。

ツァラトゥストラは翁に一礼して、その場を立ち去ります。

ツァラトゥストラは一人になった時、内心訝りつつ、こう言います。

いやはや、とんでもないことだ、この老いた聖者は、森の中にいてまだ聞いていないのだ。神が死んだということを。

 

●広場にて

森を後にしたツァラトゥストラは、最初の街へと辿り着きます。街の広場には多くの人々が集まっており、当日は綱渡り師が綱渡りのパフォーマンスを行うことが予告されております。

ツァラトゥストラは民衆に向かって次のように語りかけました。

人間は克服されなければならない或物なのだ。あなたがたは人間を克服するために何をしたというのか?(中略)

人間から見れば、猿はなんだろう?哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みを覚えさせるものだ。超人から見たとき、人間はまさにそうしたものになるはずなのだ。

そして、さらにツァラトゥストラは続けます。

わたしはあなたがたに超人を教えよう!超人は大地の意義なのだ。あなたがたの意志は声を発して、こう言うべきだ。「超人こそ、大地の意義であれ!」と。

大地に忠実であれ。そして、地上を超えた希望などを説く者に信用を置くな。(中略)

あなたがたが体験できる最大のものは、何であろうか?それは、「大いなる軽蔑」の時である。

あなたがたがあなたがたの幸福に対して嫌悪感をおぼえ、同様に、あなたがたの理性にも、あなたがたの徳にも嘔吐を催す時である。

以上のようなツァラトゥストラの最初の演説は、全く民衆の心には響きませんがツァラトゥストラはさらに続けます。

人間は、動物と超人との間に張りわたされた一本の綱なのだ。ー深淵のうえにかかる綱なのだ。

渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足を止めるのも危険である。

人間における偉大なところ、それはかれが橋であって、自己目的ではないということだ。

(中略)わたしが愛するのは大いなる軽蔑者たちである。なぜなら彼らは大いなる尊敬者であり、かなたの岸への憧れの矢であるから。

そして、軽蔑すべき人間たちーおしまいの人間たちのことについても語ります。

かなしいかな!やがて人間がもはやその憧れの矢を、人間を超えて放つことがなくなり、その弓の弦が鳴るのを忘れる時がくるだろう!(中略)

もはや自分自身を軽蔑することのできないもっとも軽蔑すべき人間の時がくる。(中略)

愛とは何か?想像とは何か?あこがれとは何か?星とは何か?」ー「おしまいの人間」はこうたずねて、こざかしくまばたきする。」

●綱渡り師

そうしているうち、綱渡り師のパフォーマンスが始まりました。二つの塔の間に渡された綱を綱渡り師が渡っていきました。

あとゴールまでもう一歩のところで、驚くべきことが起きます。綱渡り師の後ろから、道化師ともおぼしきもう一人の綱渡り師が後を追いかけてきたのです。その道化師は渡っていた綱渡り師に罵声を浴びせた上、綱渡り師を飛び越しました。

先に渡っていた綱渡り師はバランスを崩して広場に落下してしまいます。

民衆は逃げ出し、広場には誰もいなくなってしまいました。

綱渡り師はツァラトゥストラの側に落下していきます。

ツァラトゥストラは僅かに息がある綱渡り師に次

あなたは危険をおのれの職業とした。(中略)いまはあなたはあなたの職業によって滅びる。それに報いてあなたを手ずから葬ってあげたい。

 

【考察など】

上巻は主に「超人」思想がメインに語られています。引用した文章からも分かると思いますが、ニーチェは超人のことを「大地」、「人間を克服した或物」、「あこがれの矢」などさまざまな形で表現をしていますが、具体的に何であるかを明示してはいません。

敢えて定義するとすれば、「生を肯定し、あらゆる嫉妬や憎しみから解放され、力強く生きる人間」といったところでしょうか。

綱渡り師のエピソードは一種の比喩になっていると思います。超人を目指すことは容易ではないということの例えです。

確かに、神に頼ることなく、大地に地をつけて自分の力で歩いていくことは容易なことではありません。

ツァラトゥストラから何を学ぶか、超人とは何なのか、100人が読んだら100通りの解釈が可能だと思います。それほど深淵な本です。ニーチェが書く文章のエネルギーを感じたい方は是非読んでみて下さい!