読書の森〜ビジネス、自己啓発、文学、哲学、心理学などに関する本の紹介・感想など

数年前、ベストセラー「嫌われる勇気」に出会い、読書の素晴らしさに目覚めました。ビジネス、自己啓発、文学、哲学など、様々なジャンルの本の紹介・感想などを綴っていきます。マイペースで更新していきます。皆さんの本との出会いの一助になれば幸いです。

「この一冊で聖書が分かる!」白鳥春彦著(知的生き方文庫)

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この一冊で「聖書」が分かる! 白鳥春彦

知的生き方文庫


文学、美術、政治、哲学、科学、映画に至るまで様々な分野に渡って影響を及ぼし続けてきた聖書。これほどのベストセラーは歴史的にも類を見ないでしょう。聖書について学べば、様々な分野でより深い知見が得られる事は間違いありません。本書では旧約聖書新約聖書ユダヤ教で言う聖書は旧約のみを指す。)の概要はもちろん、ユダヤ人の民族的歴史、イエズス•キリストという人物について、キリスト教の迫害〜発展までの歴史について触れられており、聖書の入門書の中でも相当充実した内容になっています。決してキリスト教徒向けに書かれた本ではなく、聖書に何が書かれているのかを純粋に学ぶ事が出来る良書です。

これでたったの680円(+税)!なんと良心的な価格でしょう!!

 

◯聖書について学ぶ意義とは…??


日本で生きていると、多くの人は聖書やキリスト教などの影響を意識することはないと思います。私も今まで特に意識することは無かったのですが、著者は冒頭において、聖書的な価値観や概念が日本にまでも大きな影響を与えていることを述べています。本書で紹介されている、代表的なものは以下の通りです。


①    暦
世界のあらゆる国で西暦が使用されています。西暦のカウントはイエズスが亡くなった年齢を西暦0年としております。例外として、イスラム教徒はヒジュラ暦預言者ムハンマドがメッカからメディナへと移った年を西暦0年としている。)を使用、仏教徒の多い東南アジア諸国では仏陀が入滅したとされる年を0年としている仏暦を使用している、という事がありますが、そういった国でも対外的には西暦を用いています。


② 私たちの日常生活への影響
1週間は7日間で日曜日には仕事を休むというという習慣は「創世記」に起源を持っています。


③    ことわざ・文学
豚に真珠、目から鱗が落ちるなどのことわざも聖書が由来です。芥川龍之介夏目漱石遠藤周作なども信仰をテーマにした作品を残していますし、カラマーゾフの兄弟」、「レ・ミゼラブル」、「ピノッキオの冒険」なども聖書無しには書かれなかった作品です。

 

④    国旗・人名
世界中の国旗に十字架が見られますが、これは聖書の影響に他なりません。十字架は処刑器具ですが、キリスト教圏の国ではそのように理解されてはいません。キリスト教圏の国では人名も聖書に由来するものが多いと著者はいいます。例えば、ジョンは洗礼者ヨハネの英語読み、マイケルは旧約聖書に出てくる天使、ミカエルの英語読みで、ダニエルは旧約聖書に出てくる預言者ダニエル、、キリスト教圏の国では名前の付け方が基本的には聖書に依ることが多いようです。ここは大きく日本と違うところですね。例えば、ポールという人物がいたとすれば、使徒パウロのように育ってほしい、という願いを込めて名付けた、という事を意味しています。

 

⑤   政治との関わり

中近東のパレスチナという狭い地域をなぜ、イスラム教徒、ユダヤ教徒キリスト教徒が奪い合うのか。それは政治的な理由よりもむしろ、宗教的な理由が大きく関わっています。彼等は聖書などの聖典を根拠に生きる人々であり、起源数百年前にも遡る宗教的な闘争が現在においても噴出しているのです。

 

ユダヤ人(イスラエル人)の歴史〜聖書に何が書かれているか。

 

イスラエルの歴史は紀元前二十〜十八世紀あたりから始まります。当時のイスラエル人たちは遊牧民で、まだイスラエル人とは呼ばれず、ヘブライ人」と呼ばれていました。

ヘブライとは「過ぎゆく人」や「歩く人」を意味します。)

彼らがイスラエル人と呼ばれるようになったのは、紀元前十二世紀あたりに、「カナン」という土地に定着してからです。その後、イスラエル人たちの王国は南北に分裂し、南の王国は「ユダ」と呼ばれるようになりました。やがて北王国はアッシリアに平定、ユダが新バビロニアに滅ぼされて以降バビロニア捕囚)、故国を失い、周辺諸国に離散した彼らは「ユダヤ人」と呼ばれるようになります。

ヘブライ人→イスラエル人→ユダヤ

カナンに定住→エジプトへの移住→モーゼに率いられ、シナイ山十戒を授かる→他民族との戦闘に勝利して国家建設→国家の崩壊までの歴史は全て聖書に書かれています。(モーゼ5書ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記など)

 

ユダヤ人の選民思想、救世主願望

本書ではさらに、国家が滅ぼされたことにより、ユダヤ教の信仰がより強まったことに言及しています。

全てを奪われてしまったユダヤ人たちにとって、最後に残ったのは堅い信仰でした。モーゼ以来伝承されてきた宗教的習慣を守ることによって自らのアイデンティティを確立していきました。

同じ民族同士ではヘブライ語を話し、聖書を読み、外国人と結婚しない、食物についてのきまり、割礼の風習、、

また、自分たちは神に選ばれた民族=選民思想を持ち、力強い救世主による祖国の奪還を望むようになりました。

この、ユダヤ教「救世主願望」というのが特にポイントとなります。彼らにとっての「救世主像」とは、再びユダヤ人国家を建設して、強い力で国を治めてくれるリーダーなのです。

したがって、実際にイスラエルを発展させたダヴィデの様な人物の再来を望んでいるのであり、イエズスの事はキリスト(救世主)とはみなしていない事になります。ユダヤ人にとってのイエズスとはせいぜいユダヤ教の教師(ラビ)の様な存在に過ぎず、いわゆる新約聖書も聖書とは認めていません。

 

◯実在の人物、イエズス・キリストとはどんな人物か。

本書では、イエズス・キリストが行った行為

磔にされるまでの経緯、そこからキリスト教の重要な教えについて述べられています。

まず、実在の人物、イエズス・キリストは何をしたのか。

簡単に言うと、悲しむ人を慰め、治癒を施し、貧しい者たちに目を向けたのだといいます。

苦しむことを救済し、希望を与える事は、本来は宗教者が行うべき事ではありますが、ところが、当時のユダヤ教の宗教関係者はこれを怠るどころか、全くかけ離れた存在であったといいます。

当時、ユダヤ教は、教養のない一般庶民はヘブライ語で書かれた聖書を読むことすら出来ず、教養ある人々のみが勤しむ宗教となっていました。かつ、ユダヤ教の律法学者は宗教的かつ社会的なエリートで、悉く律法に従って生きることを説き、彼らに逆らう事は出来なかったのです。

 

ユダヤ教キリスト教の分岐点

今となっては驚くべき事ですが、当時のユダヤ教社会においては、貧しい人々や病人、12歳に達していない子ども、女性、外国人などは差別

されており、「罪人」と扱われていました。。

イエズスはその様な社会から疎外された人々と多く接したのですが、イエズスのような聖書の知識を持つ人間がそのような人々と接する事自体、律法学者にとっては法律違反をしている事になるのです。

だからこそ、イエズスが次のように子どもを引き合いに出して神の国について述べたとき、聞いていた人々には動揺が生じたといいます。

「あなたたちによく言っておく。あなたたちは心を入れかえて幼な子のようにならなければ天の国には入れない。だから、自分を低くしてこの幼な子のようになる者が、天の国でいちばん偉いのである。」(「マタイによる福音書」第18章)

また、イエズスの言行の中で、もっとも有名とされる山上の垂訓も律法に抵触することになります。

「貧しき者は幸いである。天の国はその人のものだからである。」

 

◯イエズスの磔刑とその教え

イエズスは腐敗しきっていたユダヤ教社会にあって、いわば聖書の原点に立ち返り、行動をしてきましたが、結果的には律法学者たちから反感をくらい、罪を着せられ、当時の処刑方法でも最も残酷な十字架刑により殺されてしまいます。

本書において、イエズスが生涯にわたって言動で示してきたものは何だったかが言及されています。

イエズスの教えをたった一言で表すならば、「愛しなさい」である。新約聖書の全ての文字はこの一言で代用できるのだ。

(123頁)

福音書にもイエズスの言葉が記されています。

「わたしは新しい掟をあなたたちに与える。互いに愛しあいなさい」(「ヨハネによる福音書」第13章)

イエズスはこの世にかけているものは愛であると訴え続けましたが、残念ながら律法学者たちは聞く耳を持ちませんでした…

 

では、イエズスが述べて実践した愛とは一体なんでしょうか。

本書によると、それは無償の広大無辺な愛だといいます。自分を侮辱するもの、苦しめるものまでをも無条件に愛する態度。それほどの愛を示したとき、神の国はその場所、その関係において実現されるというのです。

 

本書では以上のような旧約、新約聖書の内容の他、伝道の歴史、キリスト教の発展まで詳しく著されています。

 

◯感想

本書を通じて聖書の概略はおろか、ユダヤ人の歴史、イエズス・キリストの生涯まで、かなり多くの事を学ぶ事ができたと思います。キリスト教で意味する「隣人愛」の概念や「原罪」の本当の意味等、自分の中で曖昧だった部分もかなりクリアになってきました。

著者の深い洞察も示されており、聖書についての新しい知見が得られる素晴らしい本だと思います。

キリスト教は普遍的な教えであり、世界宗教となったことにも納得です。ただし、その後の歴史において、ユダヤ教徒などがかつてキリスト教徒を迫害したのと同様に、キリスト教徒がユダヤ教徒を迫害したというのもまた事実です。

やはり、キリスト教の習慣を身につけるのと、キリスト教の教えを実践するのは全く違うという事なのでしょう。イエズスが「自分を憎んでいる人をも愛せよ」と説き、実際に行動で示したという事は分かっていても、実践するのは相当難しい事だと思います。

現代の日本では、いわゆるカルト教団によるテロリズムやお金儲け、執拗な勧誘をしてくる一部の団体などのせいで「宗教」というワードそのものが忌避されていると思います。しかし、何より、先ずは理解する事が大切でしょう。理解できないものは恐ろしいものです。本質的な部分が分かってくれば単なるテロ組織やカルト教団の区別もついてくると思いますし、そもそも何かを信じる上で必ずしも教団に属さなければならないなんていう事は無いのです。

仏教もキリスト教も哲学も良い考えは取り入れて行動に移していく、そんな柔軟な態度こそ重要ではないでしょうか。

生涯をかけても読み尽くす事は難しいかもしれませんが、聖書を読み進めてみたいです。

 

 

 

 

「変身」カフカ(光文社古典新訳文庫)

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「変身/掟の前で」他2編 カフカ

光文社古典新訳文庫

 

「変身」、「掟の前で」、「判決」、「アカデミーで報告する」の4編が収録されています。

今回は有名な「変身」について、感想などを綴ってみます!

 

小説の冒頭は次のように始まります。

ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっていることに気がついた。甲羅みたいに固い背中をして、あおむけに寝ている。頭をちょっともちあげてみると、アーチ状の段々になった、ドームのような茶色い腹が見える。

まず、主人公のグレーゴルが虫になったという所から始まります。甲羅のような硬い背中、アーチ状の段々になった、ドーム状の腹といった描写から、小説の中でグレーゴルは夢の中ではなく、現実の出来事として、虫になってしまった事が分かります。衝撃的な虫への「変身」。ですが、グレーゴルは人間としての知能や感情を持ったまま、身体だけ虫に変身してしまうのです。

 

●あらすじ

グレーゴルは生地を売るセールスマンで、出張ばかりの生活を送っていました。しかし、グレーゴルはその仕事に満足していた訳ではありません。外では上辺だけの人間関係、会社に戻っても面倒な人間関係に追われ、精神的に疲れていました。

ある朝、いつものように早起きして列車に乗って仕事に向かおうと思っていたグレーゴルですが、うまく寝返りがうてないことに気づき、やがて自分の身体の変化に気づきます。やっとの思いでベッドから出て部屋から出ることに成功したグレーゴルでしたが、、

グレーゴルが仮病を使ったと思い込み、わざわざ家まで来たマネージャーは、変身したグレーゴルの姿を見ると逃げ出してしまいます。父親は杖を持ちながらグレーゴルを威嚇し、再び部屋へと閉じ込めてしまいます。母親はグレーゴルが病気になったのではないかと心配していましたが、次第に関心は薄れていきます。妹、グレーテは部屋の掃除やグレーゴルに水や「餌」の用意をしてくれましたが、最終的には見放されてしまいます。

グレーゴルはある日、父親からリンゴを投げつけられたことにより怪我を負い、それが原因で死んでしまいます。グレーゴルの死後、家族は何かが吹っ切れたかの様に新しい生活をスタートさせるのでした。。

 

●感想・考察

ごくごく普通のセールスマンがある日突然虫になってしまう。この短くも奇怪な短編小説は一体何の寓話なのでしょうか??

思うに、この「変身」という小説は「人間疎外」がテーマなのでしょう。虫になった途端、グレーゴルは様々なものから疎外されていきます。まず、社会から切り離され、挙げ句の果てには家族さえからも見捨てられる。因みに、カフカは「変身」出版前、出版社から扉絵に巨大な虫を描くことを呈示されたそうですが、カフカは頑なに拒否したそうです。

このことからも、虫に変身するというのも一種の比喩として読むべきでしょう。

カフカ自身、変身を出版した頃は保険のセールスマンと作家の二足の草鞋で精神的にかなり疲労していたようです。グレーゴルの虫への変身は作者自身の願望の現れかもしれません。確かに、虫になってしまえば働かなくてもいいですよね。

つまり、虫になった状態=働くことができなくなった状態を指すものと解釈が出来ると思います。しかし、働かなくなったとしても安楽の時が訪れるかというとそういう訳ではありません。社会から隔絶され、家庭での立場も徐々になくなっていく。。

まさに、人間社会の生き辛さを書いた様な小説です。資本主義社会は人間に物質的な豊かさをもたらしましたが、反対にそこで失ったものは何だったか。企業は更なる利益を生むべく、労働者には、会社に従順であること、より多くの成果をもたらすことを課していきます。また、労働者自身も家庭を維持していくためには働き続けていかなければなりません。

カフカ自身、資本主義社会で生きていく上での息苦しさを感じていたのではないでしょうか。

私自身、少年の頃、庭先のテントウムシを見て、「テントウムシは面倒な人間関係が無くていいなぁ。テントウムシになりたいなぁ。」などと思った事があります。しかし、今考えてみると、テントウムシになったらなったで鳥に狙われるなど、厳しい環境に身を晒すことになるため、決して楽などとは言えません。

本書では理不尽に晒され続ける主人公グレーゴルですが、あまり悲劇的には描かれていません。むしろ、グレーゴルの趣向や五感が段々と虫に変化していく描写は滑稽でさえあります。「人生は悲劇は近くで見ると悲劇、遠くから見たら喜劇」ということなのでしょうか。

このように考えると、人間誰しもが変身願望を持っているのではないかとさえ思えてきます。

あなたには変身願望はありますか??

 

 

 

 

「代表的日本人」 内村鑑三

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今こそ名著「代表的日本人」内村鑑三 

日本能率協会マネジメントセンター

 

今から112年前の1908年、「代表的日本人」は英語で出版されました。内村鑑三は日本的精神性とは何かを広く海外に知らしめるためにこの本を著したのです。岡倉天心茶の本」、新渡戸稲造「武士道」と並び、大日本人の一つに数えられています。本書は現代語訳で大変読み易いです。

 

●本の概要

 

日露戦争に勝利し、日本が近代化に邁進していた時代、西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮という5人の日本人の生き方を通じて、日本人の精神性を海外に知らしめた一冊です。

キリスト教徒でもある内村鑑三が、聖書の言葉も引用しながら、日本人の精神の有り様を生き生きと描いているところが本書の特筆すべき点であると思います。

 

●本書の魅力

 

本書は単なる海外向けの日本の偉人伝ではありません。5人の偉人の生き方を通じて、西欧文明に勝るとも劣らない深い日本の精神性について述べているところが魅力です。

当時の形式的な西洋化に対する日本への鋭い批判も随所に見られます。人物伝に留まらず、思想的なスケールの広がりも感じられる作品です。確かな価値観が揺らぐ現代、本書の持つ意義は大きいのではないでしょうか。


明治維新の立役者‐西郷隆盛

日本的精神性を著す人物として、西郷隆盛が紹介されております。


明治維新の立役者である西郷隆盛は日本人の誰もが知っているところですが、彼の生涯、エピソードから、彼の人柄がリアリティ溢れる形で伝わってきます。

本書を読む前は何となく豪快なイメージがあった西郷隆盛でしたが、実はおとなしく、地位には執着しない、飾らない人柄だったようです。しかしやはり、一度決めたら突き進む信念と内なる情熱を秘めていたことが本書から伺えます。西郷は明治政府で征韓論を唱えましたが、内治優先派と対立して下野。薩摩藩に戻り、藩の人たちに担ぎ上げられる形で西南戦争を引き起こし、最期を迎えます。征韓論は過激な思想に思えますが、彼は極めて冷静に欧米列強と肩を並べるための方策を考えた末の結論だったようです。

 

●偉大な改革者ー米沢藩主 上杉鷹山と 農政改革家 二宮尊徳
 

上杉鷹山は江戸時代、藩主として不可能と思われた米沢藩の財政を立て直した人物です。徹底した節制を自らに課し、領民のことを何よりも大事に考えた結果です。


本書からは鷹山が「徳」によって藩を治め、身を切る改革を断行することによって、領民の行動を促したことが伺えます。自らの行動に反対する者たちが現れた時も、まずは民衆に対して自らの行動が正しいかを問う、という極めて民主的な方法によって対処しています。


二宮尊徳(通称:二宮金次郎)は小学校の銅像でお馴染みの人物ですが、まさに「爪に火を灯す」苦しい生活の中、勉学を続けていたといいます。「自然はその法に従うものに豊かに報いる」との信念のもと、どんな荒んだ民の心にも誠意をもって向き合い、途方もない公共事業を次々と成し遂げていきました。

 

●「信念の人」ー儒学者 中江藤樹宗教改革者 日蓮

 

儒学者中江藤樹は「謙虚であること」という信条を大切にし、自らの信念を貫き通した儒学者です。彼は小さな村で儒学を教え続けました。藩主の池田光政が教室に見学に来た際にも、子供たちへの授業を優先して、池田光政を外で待たせた、というエピソードなどが紹介されています。中江藤樹の、地位にへりくだるのではなく、自らの信念にしたがって行動する、というところがよく表れたエピソードであると思います。


日蓮鎌倉時代日蓮宗の開祖。日蓮は港町の漁師の家に生まれ、仏教を学んでいましたが、学んでいるうち、「仏陀の教えは一つなのに、何故いろいろな宗派があって、それぞれ考え方が全く違うのか」という疑問を抱くようになりました。

彼は本来の仏陀の教えに立ち返るべきではないか、という考え方を持っていました。そして、ついに出遭ったのが妙法蓮華経」またの名を「法華経でした。

本書では、他宗を攻撃する激しい人物であった一方、身内には穏やかな顔を見せていたというエピソードも照会されています。家柄が良いわけでなく、何の後ろ盾も無い中であらたな信仰を広めていった日蓮の業績をドイツの宗教改革者、ルターの功績になぞらえているところが本書の面白いところです。

 

●感想

本書は、英語で、西欧の人向けに内村鑑三が書いたものですが、日本語で、現代の日本人こそ読むべき名著ではないでしょうか。読み通すと、内村鑑三がどうしてこの5人を選んだのか、意図がだんだんと見えてきました。思慮深く、自分の信念にしたがって行動する偉人がいたことを海外に知らしめたかったのだと思います。

本書はNHKの100分de名著でも照会されましたが、そこで批評家の若松英輔さんは、「偉人伝として読まない」「自分にとっての意中の一人を見つけよ」というユニークな読み方を提示されていました。本書で紹介されている5人について、読者の中にはシンパシーを感じられる人、感じられない人、様々いると思います。「自分がもし、海外の人向けに偉大な日本人を紹介するとしたら、どの人物を推すだろうか」などと考えながら読んでも面白いと思いました。

 

 

「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル(みすず書房)霜山徳爾訳

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ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」

みすず書房 霜山徳爾訳

 


わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ

 

●本の概要

原題は「強制収容所におけるある心理学者の体験」

オーストリア・ウィーン在住の精神科医であったヴィクトール・E・フランクルは、ユダヤ人であるというだけの理由でナチスに捕らえられ、過酷な強制収容所での生活を余儀なくされました。強制収容所という極限の環境で人間の精神状態はどのように変化していくのか、何に絶望し、何に希望を見出すようになるのか、リアルな筆致で描き出しています。

1941年、ヒトラーは非ドイツ国民で国家・党に対して反逆の疑いのあるもの(実際には反逆の疑いがなくても)は家族まるごと収容所に拘禁すべし、という命令を下しました。夜のうちに、霧にまかれたかのように一家族まるごと消える事態が多発したことから、通称、「夜と霧」命令と呼ばれました。本書のタイトルはこれに由来しています。

 

●最初の選別

数ある収容所の中でも、アウシュビッツは「絶滅収容所」として格別に恐れられていたといいます。フランクルアウシュビッツに到着した時の印象では、95%の人は到着後まもなくガス室に送られ、毒殺されていたようです。フランクルは幸運にも残り5%のうちに入り、生き残りました。数日後。ダッハウ強制収容所に移され、テュルクハイム収容所に移され、終戦を迎えました。

アウシュビッツに列車が到着した場面、最初の選別が行われる場面はとりわけ印象的です。

そして列車はいまや、明らかに、かなり大きな停車場にすべりこみ始めた。貨車の中で不安に待っている人々の群の中から突然一つの叫びがあがった。「ここに立札があるーアウシュビッツだ!」各人はこの瞬間、どんなに心臓が止まるかを感じざるを得なかった。アウシュビッツは一つの概念だった。すなわちはっきりと分からないけれども、しかしそれだけに一層恐ろしいガスかまど、火葬場、集団殺害などの観念の総体だったのだった! 

 

フランクルたちはアウシュビッツ到着後、長い行列を組まされ、選抜を担当する親衛隊将校の前に一人ずつ押し出され、人差し指で右、左と指図され、グループ分けされました。概ねは右でフランクルは数少ない左に選ばれました。フランクルは後にこの意味を知りました。それは最初の選別だったのです!

 

●生きるための「無感動」

その後、フランクルたちはダッハウ収容所に移送され、極寒の中、過酷な労働などに従事します。その際、フランクルが実感したのは、人間とはいざとなると想像以上の適応能力を発揮するというものです。寒い時期、寝具がなくとも風邪も引かず、汚物で汚れた場所でも平気で眠るといった図太さを獲得していったといいます。

中でも、フランクルが注目したのは、多くの人が何を見ても何も感じない、「無感動」「無感覚」「無関心」という状態になっていった事です。フランクル自身もいつの間にか、大変な「感情の鈍麻」状態に陥っていきている事に気付きます。何と、数時間前まで話をしていた仲間の死体を目の当たりにしても何も感じる事なく食事をしていたといいます。そして、そんな自分の無感覚状態に驚嘆したと述べています。

このような状態をフランクルは防御反応、「心の装甲」状態と述べています。

 

●感受性の豊かな人が生き延びた

多くの人が心の装甲状態に陥る中、なお、彼等の関心を引くものが2つあったといいます。一つは戦況や政治状況、もう一つは宗教的な関心であったという事です。特に、収容所では宗教的な活動は非常に活発であったと述べています。

新たに入ってきた囚人はそこの宗教的感覚の活発さと深さにしばしば感動しないではいられなかった。この点においては、われわれが遠い工事場から疲れ、飢え、凍え、びっしょり濡れたボロを着て、収容所に送り出される時にのせられる暗い閉ざされた牛の運搬貨車の中や、また収容所のバラックの隅で体験することのできる一寸した祈りや礼拝は最も印象的なものだった。

殺伐とした日々の中でも祈る事、感謝することを忘れなかった人々は生き残る可能性も高かったというのです。

 

●極限状態で人は天使と悪魔に分かれた

フランクル強制収容所で発見した真実。それは、極限状態の中で死にゆく仲間のパンや靴を奪い取るものが居た一方で、自らも餓死寸前になりながらも、仲間にパンを与え、励ましの言葉をかけ続けた人がいたという事実です。フランクルはこのような状況でも人間には自己決定する力があると言うのです。

典型的な「収容所囚人」になるか、あるいはここにおいてもなお人間として留まり、人間としての尊厳を守る一人の人間になるかという決断である。

 

感想

本書は「言語を絶する感動」と評され、時代を超え、国を超え、多くの人々に読み継がれてきたベストセラーです。何故、これほど多くの人に読み継がれてきたのか。それは、本書が強制収容所での悲惨な体験を語っているにも関わらず、生きることに対する希望を与えてくれるような書だからでしょう。フランクルは収容所にいる最中においても、精神病で苦しんでいる人のため、本を出版することを自らの使命であると思い続けていたようです。彼は必死でかき集めた僅かな紙の切れ端に、出版するつもりの本の内容を書き留めていたといいます。つらい状況にあっても、「私を待っている人がいる、私がこの人生でなすべき何かがある」と考えるだけで未来に希望を持つ事が出来る。非常に勇気付けられる内容です。

また、どんな状況にあっても、人間は自分の生きる態度を決定する事が出来る、というのもフランクルは語っています。自らが飢餓状態にも関わらず、他人にパンを分け与えるというエピソードには非常に胸を打たれます。

この世の地獄とも言える経験をしたにも関わらず、最後まで生きる希望を捨てなかった、そして、人間への信頼を持ち続けたフランクルの言葉は胸に響いてきます。繰り返し読み返したい名著です。

「老人と海」アーネスト・ヘミングウェイ

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老人と海アーネスト・ヘミングウェイ

新潮文庫

 

●概要

「さあ、殺せ、どっちがどっちを殺そうとかまうこたない」

来る日も来る日も小舟に乗り、漁をする老漁師サンチャゴ。残りわずかな餌に巨大なカジキマグロが食らいつく。4日にも及ぶ手に汗握る死闘。老人は辛うじて死闘に勝利するが、帰路、舟にくくりつけたカジキマグロはどんどんサメに喰われていく…。 

 

●本書の魅力

ノーベル文学賞を受賞したアメリカの文豪、ヘミングウェイによる短編小説「老人と海」。本書の魅力はやはり、大魚を相手に雄々しくカジキマグロと闘う老人の姿でしょう。キューバの老漁師サンチャゴが外洋へと繰り出し、巨大なカジキマグロと闘うシーンが徹底した外面描写で描かれます。人間の強さ、自然の厳粛さが感じられる作品です。

 

●老人と少年

サンチャゴのことを慕ってやまない少年、マノーリンとの関係性も本書の魅力の一つです。マノーリンは長らく漁に同行していましたが、不漁が続いていたため、サンチャゴは一人で遠い外洋へと繰り出すことを決意します。照りつける日差し、手強い魚、苦戦を強いられる最中、サンチャゴは「あの子が乗っていてくれたらなぁ。」と何度も呟きます。サンチャゴがマノーリンを子どもではなく、信頼できるパートナーとして見ていることが分かる良いシーンです。

 

●見事な情景描写

燦々と照りつける日差し、太陽の光を反射して海中で光るシイラ、燃えるようなカリブ海の夕陽…見事な情景描写により、読者にはキューバの海の情景がありありと浮かんできます。片手で釣ったマグロを捌いて口に頬張りながら、縄を身体全身に巻き付け、力いっぱいに縄を引くサンチャゴ。まさに男VS大自然。なんともハードボイルド。。

 

●感想

ストーリーだけを追えば、老人が巨大なカジキと格闘して勝利したが、帰路、サメに全て喰われてしまうという単純なものです。しかし、この小説の素晴らしいところはストーリーではなく、人間の持つ勇気と自然の厳しさを同時に描いているところでしょう。サンチャゴは、カジキマグロとの戦闘中、呟きます。「港に戻ったところで、お前を食うに値する人間などいるだろうか?いや、いないね。」老人の自然への畏敬の念が感じられて大好きな台詞です。自然の恐ろしさと美しさ、人間本来の強さ、そんな事を教えてくれる名著だと思います。

ソクラテスの弁明 プラトン著(角川選書)

 

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シリーズ世界の思想 「ソクラテスの弁明」(角川選書)岸見一郎訳 

 

●概要

哲学の古典中の古典、プラトンが著した「ソクラテスの弁明」。本書では当時の古代ギリシアで実際に起こったソクラテスについての裁判における、ソクラテスの弁明の内容が克明に著されています。記録としてだけではなく文学作品としても一級品で、プラトンの手により、2500年前の法定問答が鮮やかに甦っています。

ソクラテスの弁明」の訳は既に沢山出ていますが、本書はアドラー心理学の「嫌われる勇気」でお馴染みの岸見一郎先生による訳・解説で、時代背景から作品解説が非常に丁寧で分かりやすいです。ソクラテスの一言一言から溢れるエネルギーを感じられる重厚な文体で、読みながらワクワクしてしまう事間違いなしです。

 

●背景

当時、アテナイを中心に、ソフィストと呼ばれる弁舌家が活躍していました。彼らは裕福な家庭のご子息相手に相手を論破する弁論術を教えていました。当時は弁論によって民衆を動かすのが政治家や知識人の役割。ソフィストたちは強弁を売り込み、名声と報酬を得ていたそうです。しかし、ソクラテスには、彼らは話す内容ではなく。技術論に終始し、名声やお金のために知者であることを装っている人たちに見えたようです。

ソクラテスは、そうしたソフィストたちを始め、政治家などに「勇気とは何か」「知恵とは何か」といった議論を持ちかけていきました。質問に答えられなくなり、公衆の面前で恥をかかされた大御所たちはソクラテスを憎み、ついには「若者を堕落させ、信じるべき神を信じていない」という事で裁判まで起こされてしまいました。実際にあったその時の裁判の様子を弟子のプラトンが書き記したのが本書です。

 

●ポイント

裁判の流れは原告と被告同士が市民の前で弁論→多数決で有罪か無罪かを決める→量刑を決めるための弁論→判決で1日で決審するのが普通でした。ソクラテスは弁明の中で、今回の起訴内容が不当であること、ソフィストたちに議論を持ちかけ、知の吟味をすることが自分が神から与えられた役割であることを述べていきます。それによって捕らえられ、死を迫られたとしても、自分は正義と真理を取ると断言します。そもそも、アポロンの信託「ソクラテスより賢いものはいない」という内容が真実かどうかを確かめるために「知の吟味」を始めたソクラテス

ソフィストたちとの議論を通じて、「自分は無知だが、無知であることを自覚している分、彼等よりは賢い」との結論に至り、信託の意味を理解します。有名な無知の知です。無知を自覚した上でどこまでも真実を追い求める姿勢は正に哲学の源流です。

 

●感想

どのような思想を持っていても、実際に死刑が待っていると思うと、普通は命乞いをするものです。しかし、ソクラテスは死を前にしても自らの信念を曲げませんでした。その事が原因で市民(裁判員)の反感をくらい、実際に死刑判決を受けてしまいましたが…しかし、この弁明は当時のプラトン青年を始め、多くの人物に衝撃を与えたことは間違いないでしょう。

文章からほとばしるエネルギー。まさにその場でソクラテスの演説を聞いているかのような臨場感を与えてくれるのはプラトン驚異の文章力です。哲学の原点として何度も読み返したい書です。獄中での弟子との対話を著した「クリトン」もいつかは読んでみたいところです。

 

世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方


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世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方

KADOKAWA

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●本の概要

二度とぶれない「自分軸」を見つけるための本。「この仕事をずっと続けていいのか分からない」「何かをしたいけれど、何をすればいいのかわからない」そんな人のために書かれた本です。自分自身、今の生き方でよいのか、という悩みがあり、手に取りましたが、所謂ハウツー本とは一線を画す、素晴らしい本でした。

 

●本書の特徴

筆者は「夢中で生きる人を増やしたいという」思いから、「自己理解」にフォーカスを当てて徹底追及しています。

自分を知り、やりたいことを見つけ、自分を活かして成果を出していく。そんな成長への道筋を示してくれる案内書です。

 

●本書の構成

本書の構成は以下の通りです。やりたいことをめぐる考え方から、自己理解のやり方、行動への道筋を示してくれます。

やりたいことが見つからない理由を知る→自己理解メソッドを学ぶ→大事なこと(価値観)を見つける→得意なこと(情熱)を見つける→本当にやりたいことを見つける→本当にやりたいことを実現する

 

●感想

よく、「やりたいことを仕事にすべき」とは聞きます。しかし、本書を通じて、印象だけで選んでしまうこと、「とにかく行動すれば天職に出会えるのだ」といった考え方は危険であることを認識できたことは幸運でした。大切なのはまず「自分を知ること」そして、どんな価値を提供したいのか、人生を振り返りながらしっかりと考えていくことが重要であると思いました。

自分はどう生きたいのか(価値観)×得意な事は何か(才能)×何をしたいのか(興味関心)=本当にやりたい事 という公式を意識して、様々な組み合わせから自己理解を深めていきたいです。本書の素晴らしいところは、「私はこれで成功した」という体験談には留まらず、誰もが実践できる自己理解のメソッドを作り上げ、読者に提供しているところです。「自分の今やっていることに違和感がある、モヤモヤする」といった感覚を抱いている人にとってはぴったりの本だと思います。