「資本主義から市民主義へ」(ちくま学芸文庫)の内容など
今回ご紹介するのは、経済学者の岩井克人さんと、評論家の三浦雅士さんとの対話形式で綴られる、「資本主義から市民主義へ」(ちくま学芸文庫)です。
人間社会を形成する「貨幣、法、言語」について興味深い議論が展開されています。特に、岩井さんの「貨幣」や「資本主義社会」についての洞察は非常に鋭いもので、読んでいくうちにどんどん引き込まれます。
内容について、一部ご紹介します。
【内容】
〇自己循環論法としての「貨幣、法、言語」
本書では、人間社会を存在たらしめている「貨幣、法、言語」の持つ本来的な価値はどのような点に求められるのか、という点について、非常に興味深い議論が展開されています。
このような議論は数百年前から存在しており、学説上も対立がありました。
①貨幣(貨幣商品説VS貨幣法制説)
貨幣商品説・・貨幣はもともと商品として価値を持っていたが、貨幣として使われ始め、貨幣としても価値をもつようになった。
貨幣法制説・・貨幣は、共同体国家、王の権威、法律で決められたから、価値を持つに至った。
自然法論・・法とは、道徳や社会的正義の現れである。(グロティウス、啓蒙主義者など)
法実証主義・・法とは、王からの命令である。(ウォーラーステイン、ベンサムなど)
③言語(記述主義VS反記述主義)
記述主義・・言葉とはそれが意味する事物の写像である(前期ウィトゲンシュタイン)
反記述主義・・言葉とは、共同体における命令儀式によって意図的に事物と言葉がむずびつけられたものである。
しかし、岩井さんは、これらは一方の因果関係を抽出して述べているに過ぎず、それぞれの価値の本質には迫ることができていないと述べます。
例えば、貨幣の価値の本質は「それが皆に貨幣として使われているから」という自己循環論法に支えられているのだと岩井さんは主張されています。
貨幣や法、言語は自然から与えられたものでもなく、人為的に作り上げられたものでもなく、その中間的な性質を持つ、と岩井さんは言います。
非常に興味深い論点です。例えば、言語を例にとってみると非常にわかりやすいと思います。
言語(母語)は、自然に習得したものであると我々は認識しておりますが、よくよく考えてみると非常に不思議なものです。ヒトは全ての言語を操れるような状態で生まれてくる、という意味において、言語とは、ヒトの遺伝子にプログラムされた本能であると言えると思います。しかし、本能だけでは説明できない部分ももちろんあります。ヒトは自動的に言語を話せるように成長する訳ではありません。家族が話している言語を聞いて、表現を学ぶ必要があります。また、方言など、地域的な影響も大きく存在します。
そういった意味で、岩井さんは、貨幣、言語、法などは所与のものでも、完全に人工的なものとも言い難い、超越的な性格を持ち合わせているとおっしゃっています。
〇貨幣のもつ性質
岩井さんは、貨幣には、投機的性質があるということも仰っています。
ヒトが貨幣を持つ理由は、食べ物や衣服などのように、それ自体を欲するからではありません。将来において、何か役立つものを買ったりできるからです。この、人々が貨幣を欲する理由は確かに投機的といえます。
また、投機的性質を抱えるが故、常に不安定性を持ち合わせているということも指摘しています。
つまり、人々があまり貨幣に価値を感じなくなれば、モノが不足してモノの値段が吊り上がり、ハイパーインフレーションが引き起こされます。人々が貨幣に価値を感じ、モノをあまり買わなくなれば恐慌となります。
貨幣には常に不安定性がつきまといます。
また、貨幣は人間に自由をもたらしたと主張されています。
まず、第一に貨幣には「使わない自由」があるからです。これがもし食べ物であればどうでしょうか。有効な保存方法があれば別ですが、通常は腐るまでに食べてしまう必要があります。しかし、貨幣であれば、それを今すぐ使うのではなく、将来のためにとっておくという選択が可能です。
第二に、物々交換などと違い、誰とでも取引可能というメリットもあります。物々交換の場合、例えばこちらがリンゴを持っていたとして、バナナが欲しかったとしても、相手がそれを持っているかは分かりません。そのため、必然的に顔を見知った間柄での取引となり、通常、狭いコミュニティの中でのみしか成立しません。
そのため、貨幣の所有は人間に初めて「自由」をもたらしたということが本書では述べられています。面白い視点です。
〇資本主義とはどんなシステムか
資本主義はこの数百年の間に様々な変遷を経ながら発展を遂げてきました。
岩井克人さんは、大胆にも、資本主義について、「差異によって利潤を生みだすという純粋に形式的なシステム」であると述べています。そして、極めて形式的だからこそ普遍性があり、世界中に広まったということを指摘されています。
資本主義というと、アダム=スミスの「神の見えざる手」ではないですが、経済学の素人の私にとっては、何か、高尚な理屈に基づいて動いているものと認識していた私にとって、この部分は新鮮な驚きでした。
つまり、資本主義が世界中で採用されているのは、何か、高尚な理論だとか、優れているからではなく、純粋に形式的な理論であることに過ぎないというお話です。
本書でも指摘されていますが、この部分について、マルクスはある誤謬に陥ってしまいました。それは、経済活動によって得られる利潤=労働の成果物と捉える考え方(労働価値説)です。この考え方によれば、価値の源泉=労働となり、マルクス風に言うと、資本家は労働者の生き血を啜る吸血鬼ということになります。
この考え方は、産業革命当時は妥当性があったかもしれませんが、資本家が設備投資をし、あとは労働者に労働させさえすれば十分に利益を上げることが出来た当時と現代とは状況が違うことに注意しなければなりません。
つまり、当時は、農村部に膨大な労働人口を利用して利潤を得ていた、つまり、都市部と農村部の労働人口から利益を生み出していたにすぎないのですが、それを労働こそ最大の価値であると固定化させてしまったことにこそマルクス最大の誤謬があったのです。
資本主義の歴史の変遷
本書では、資本主義の歴史変遷についても解説がなされています。
資本主義は商人資本主義→産業資本主義(第一次産業革命)→第二次産業革命→ポスト産業主義と徐々に形を変えてきました。
①商業資本主義
遠隔地貿易など。大航海時代などには既にその源泉があった。遠隔地から仕入れたものを高く売ることによって、利益を得る形態。
②産業資本主義
大工場で大量生産をすれば自動的に利益が得られるシステム。
設備投資、農村から安い労働者をたくさん雇うことが利潤を得るために必要。
③第二次産業革命
機械設備が膨大となる。重化学工業、石油コンビナート、造船所など。
赤字を生まないために、生産工程、材料調達、マーケティングなど、専門的に分業して行う必要が出てくる。機械的設備に適応した能力・知識が必要となる。(組織特殊的人的資産)
④ポスト産業資本主義
IT革命やグローバル化、資本が低賃金労働者を求めて外国へ進出する。外国から労働者の流入も起こる。差異性を意図的に創り出す必要がある。他社製品とは違う商品を生み出し、それに価値を付与する。企業同士の競争が加速する。
また、面白いことに、現在の「日本的経営」は、未だに第二次産業革命当時に依拠しているといいます。
終身雇用、年功序列、会社別組合といったシステムは組織特殊的人的資産を育むうえでは有用な仕組みでしたが、今後、見直しが必要になってくるだろうと岩井さんは予測しています。
〇資本主義社会と倫理
最後に、資本主義社会には倫理が必然的に要請される、というポイントをご紹介します。
資本主義社会は無数の契約行為から成り立つという性質から、背信行為をしてはいけないとか、相手からお金をだまし取ってはいけない、などといった倫理性が必然的に要請されると岩井さんは指摘しています。
資本主義を支える倫理として岩井さんが注目しているのが、カントの倫理学です。
カントの説く倫理とは、「すべての人間を単に手段としてではなく、目的として扱え。」「あなたの行動の原理が、すべての人間にとっての普遍的な法として成立するよう行動せよ。」
という命令を特徴としています。
そして、岩井さんによれば、これは倫理の形式的な実定化であるが故に普遍性を持つと言います。
要するに、カントは倫理はなぜ価値があるのか、という問いに対して、倫理それ自体が目的だからであると答えており、貨幣、法、言語と同じような自己循環論法が根拠となっているのです。それゆえに普遍的な妥当性を持ちうるのだ、と岩井さんは仰っています。
また、本書のタイトルにもなっていますが、今後、資本主義でも国家でもない、NGOやNPOのような市民主義的な活動も重要になってくると対話の中では述べられています。
【感想など】
何となく手に取って読んでみた一冊でしたが、かなり深い内容でぐいぐいと引き込まれました。対話形式の本には何となく読むのが易しいイメージがありますが、岩井さんと三浦さんの対話のレベルが非常に高くて、読むのに苦労しました。
経済の話のみならず、話題は多岐にのぼっており、ヘーゲル、ウィトゲンシュタイン、マルクス、デリダなど思想家たちも度々対話の中には登場します。
貨幣、法、言語などの価値は自己循環論法に支えられているという考え方はとても刺激的で、他にも応用が効きそうです。
今回、紹介しませんでしたが、法人を巡る議論もとても面白いです。法人論では、カントローヴィチ著、「二つの王の身体」も度々援用されながら、法人の「二つの身体」ということがテーマとされています。
また、最終的には倫理はカント倫理学に結実するだろうという予測も極めて大胆で面白いところです。個人的には、岩井克人さんは、経済学者というフレームを超えた、思想家であると思っています。(笑)
間違いなく、多くの人の知的好奇心を刺激してやまない本だと思います!おすすめです!!
日本列島100万年史(講談社ブルーバックス)の内容・感想など
皆さんは、日本列島の歴史についてご存じでしょうか。
日本列島の複雑な地形には、驚くべき地形変動の歴史が刻まれています。
講談社ブルーバックスから出ている、「日本列島100万年史」では、日本列島の形成の歴史から、各地方の地形の形成史まで、地学についての知識がない方でも分かりやすく解説されています。
この日本列島の大地にどのような変動が起こったのかを理解することは、これから日本列島に何が起こるのかを予測することにつながります。災害への備えという意味でも、地学的な基礎知識を身に着けておくことには大きな意味があると思います。
【どんな人におすすめ?】
日本の地形の成り立ち、自分が住んでいる地域の地形がどうなっているのかを知りたい、地震や火山のメカニズムを知りたい方にはおすすめです。
【ポイント】
本書の中で興味深かった点をいくつか紹介します。
〇日本列島の成り立ち
日本列島は数千万年前、大陸の一部であり、マントルの対流により、大陸から引き裂かれる形で分裂しました。長い年月をかけて南西方向へと移動し、大陸との間には「縁海」となり、日本海となりました。
日本列島は南にフィリピン海プレート、東方向に太平洋プレート、北方向に北米プレート、ユーラシアプレート、四つのプレートに囲まれている有数の地帯となります。
日本海溝や南海トラフが周辺にあり、有数の火山地帯、地震地帯になっております。
特に、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に沈み込む地帯では、深さ100㎞地帯に火山フロントが形成されます。この火山フロントの列=伊豆バーといいます。
この伊豆バーがフィリピン海プレートの動きによって北部に移動していき、やがて日本列島に衝突しました。そして、伊豆半島が形成されます。
現在も日本列島はフィリピン海プレートに押され続けており、丹沢山地は500万年前、御坂山地は900万年前にできました。
〇火山と火山フロントについて
火山の噴火は、地下深くのマグマ溜まりがいっぱいになっているときに、地殻に加わる力が変化して、地表に噴き出すというものです。
マグマの成因
①プレートの沈み込み地帯
マグマはマントルを構成するかんらん岩が溶けたものです。岩石は温度が高いほど溶けやすいですが、密度が低いほど溶けにくくなります。
マグマができるためには、融点を下げる水が必要となります。この水は多量の水を含んだ海洋プレートが供給します。海洋プレートが沈み込んでいく過程で水が絞り出され、結果、地下100㎞の地点あたりでマグマができやすくなります。
(プレート境界でマグマのできる仕組み)
マントルの湧昇流地点はホットスポットと呼ばれ、ベルトコンベアーのように火山をつくっていきます。北朝鮮、中国国境付近にある、白頭山はこの火山です。ハワイ~ミッドウェー~アリューシャン列島~カムチャツカ半島にかけてできている火山帯は天皇海山列と呼ばれています。
〇山脈の形成について
山脈の形成にもプレートの運動が関わっています。海洋プレートが海洋プレートあるいは大陸プレートの下に沈み込む場所では、海洋プレートの下部にある岩盤や土砂などが
溜まっていき、付加体が形成されます。
この付加体が成長していくと、やがて山脈へと成長します。このプレート運動の影響で形成された山脈にアンデス山脈やロッキー山脈があります。
〇気候変動の歴史
地球史上の年代区分で言うと、現代は260万年前から始まった第四紀にあたります。
第四紀では、およそ10万年毎に温暖な時期と氷期が訪れており、現在は寒冷な時期にあたります。周期で行くと、これから氷期へと向かっていくことが予想されているようです。
直近の氷期は約7万年前から始まり、2万年前に最盛期を迎えました。北米、ヨーロッパ、スカンジナビア半島では200m以上の氷床ができ、海水面は現在より120mも低かったといいます。
氷期になると海水面が下がる理由は以下の通りです。
①海から蒸発した海水が水蒸気になる。
②陸地に雪を降らせる。
③気温が寒冷のため、夏でも溶けない万年雪となる。
④万年雪が冬に凍り、氷床へと成長する。
海水が海へと戻らないため、徐々に海水面が低下していきます。
2万年前の氷期では、東京湾、大阪湾、瀬戸内海は干上がったといいます。
そして、驚くべきことに、干上がった瀬戸内海にはナウマンゾウが闊歩していたといいます。証拠として、瀬戸内海からはナウマンゾウの化石がたくさん発見されています。
この氷期で大陸と日本列島がつながったことは、その後の動物分布にも影響を及ぼしました。当時、北海道はユーラシア大陸とサハリン経由でつながっていました。
しかし、津軽海峡は水深が深かったために北海道と本州は完全には陸続きにならず、大陸から渡ってきた哺乳動物は本州までは南下することができませんでした。
このことが影響し、本州と北海道とで動物の分布は異なることになりました。
この北海道と本州との分布の違いをブラキストン線といいます。
現在でも北海道にはヒグマ、ナキウサギなど、本州には生息していない動物がいます。
また、氷期では日本アルプスには大規模な氷河地形が形成されました。現在でも北アルプスの涸沢カール、中央アルプスの千畳敷カールなど大規模な氷河地形を見ることができます。
そして、現在から7000~5000年前は直近で平均気温が今よりも2~3℃高かったといいます。房総半島の先端にはサンゴ礁があり、内陸には海水が侵入し、今の埼玉県の北部あたりまで浅い海が広がっていたといいます。
〇東北地方
東北地方は東側に1200m級の阿武隈高地、西側に会津磐梯山、安達太良山、蔵王山、岩手山、八幡平などの1700~2000mの山岳が連なっています。西側に火山が多いのは、太平洋プレートが日本列島に向かって直角に沈み込んでちょうどマグマがたくさんできる地域であるためです。
また、リアス式海岸も特徴的です。リアス式海岸にも気温の変更が関係しています。
氷期に川に削られてできた狭い谷が温暖になり、海水面が上昇したことによって溺れ谷となったものです。リアス式海岸という名称は、深い入り江が特徴のスペインのリアスバハス海岸に由来しています。
〇関東地方
関東平野は日本最大の平野で、その大きさは北海道の石狩平野を遥かに凌ぎます。
また、驚くべきことですが、関東地方では中央部では沈降、周辺部は隆起を続けています。中央部で沈降しているにも関わらず、海に沈まないのは、関東山地などから供給される岩や土砂が堆積し続けているためです。
関東平野の地下には3000m以上の厚さの堆積物が堆積しているといいます。
また、関東地方にある富士山はプレート境界に位置している活火山で、世界的にも類を見ないほど珍しい地点に位置しています。
300年程前に発生した宝永噴火では、御殿場で噴出物が2mも堆積し、火山灰が数か月も空を覆い続けた影響により、江戸では真昼でも提灯をつけなければならないほど暗くなってしまったそうです。宝永地震の49日前には南海トラフで大きな地震がありました。南海トラフ地震は2030~2040年に発生することが予想されていますが、この地震と富士山噴火が連動して起こる可能性が専門家によって指摘されています。今後、警戒が必要です。
富士山(3776m)
〇九州地方
九州地方は火山の土地と言っても良いほど火山活動が活発な地域です。九州地方では巨大な火砕流によってつくられた地形が各所に見られます。最近噴火した阿蘇山には街がスッポリ入ってしまうほどの巨大なカルデラ地形があります。
また、シラスと呼ばれる軽石やガラス質の砂が堆積した地層が九州全土を厚く埋めています。
桜島や阿蘇山、霧島連山など活動が活発な火山がたくさんあり、今後も噴火活動への警戒が必要です。
阿蘇山中岳噴火口
【感想など】
日本列島にはどのような歴史が刻まれているのか、どんな地理的特性があるのかについて知ることは、災害などから身を守るうえでもとても大切なことであると思います。
日本列島にはどのような特徴があるのかという点は、今まで考えもしなかったことですが、深い海溝に囲まれ、縁海があり、火山が非常に多いという世界的に見ても際立った特徴を持つ島国であるということを認識しました。
大規模な地震が定期的に起こり、火山の噴火も多いため、私たちは非常に厳しい自然環境の中で暮らしているということが言えると思います。
しかし、私たちは自然からの恩恵を多いに享受しているという点も見逃せません。例えば、日本が世界で有数の温泉国なのは、火山のおかげです。また、噴火はおそろしいものですが、平穏なうちは、私たちは火山の持つ荒々しくも美しい景観を楽しむことができます。富士山は登山の対象として有名なだけでなく、芸術分野にも多大なる影響を与えています。葛飾北斎が描いた「凱風快晴」はあまりにも有名です。
日本人なら誰しも、独立峰で美しく裾野を広げる富士山を誇りに思うのではないでしょうか。
また、自然災害が多い日本だからこそ、古代の人々は自然を畏れ、敬い、神道という日本独自の宗教が今まで発展してきたのかもしれません。
いずれにしても、自然のことを理解した上で「正しく恐れる」ということが大切であると思います。地球レベルの大地の変動は、人間にコントロールなど到底しえないものです。直近の脅威といえば、南海トラフ地震と富士山噴火だと思います。どこか遠い未来のように感じてしまい、切迫感を持って備えておくというのは難しいと思いますが、少しづつ食糧を備蓄しておくなど、できる備えからやっておいた方が良さそうです。
日本列島にこれからどのような大地の変動があるのか、本書を機に考えてみるのも面白いと思います。
「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ)の要約・内容など
「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ著)
今回はレイ・ブラッドベリの華氏451度を紹介したいと思います。ジョージ・オーウェルの「1984年」と並び、ディストピアを描いた小説として有名です。華氏451度では、「本が焼かれるディストピア」が描かれます。物語の舞台は反知性主義が徹底された近未来です。「思考すること」、「記録すること」の大切さなど、私たちに深く考えさせてくれる文学作品です。
【物語の基本設定】
華氏451度の時代では、本は市民に有害な情報をもたらすものとして読むことはおろか、所有さえ禁止されています。そして、昇火士(ファイアマン)という職業があり、本という本を焼き尽くします。物語の主人公は、昇火士として働くガイ・モンターグ。彼は模範的な昇火士として働いていましたが、様々な人々との出会いを通じて、自分の職業に疑問を持つようになります。
本の代わりに人々を支配しているのは、参加型のテレビスクリーンとラジオです。彼の妻、ミルドレッドは中毒患者のようにその快楽に溺れています。
主人公のガイ・モンターグが心変わりをする過程がこの小説の読みどころです。
そして、終盤には怒涛の展開が待っており、物語それ自体も非常に楽しめる内容になっています。
【登場人物】
ガイ・モンターグ:物語の主人公。本を燃やし尽くす昇火士として働くが、やがて昇火士という職業に疑問を抱くようになり、隠れて本を読むようになる。
ミルドレッド:モンターグの妻。四六時中テレビスクリーンに夢中になっている。
クラリス:17歳の少女。不思議な雰囲気を持ち、モンターグ宅の隣に住んでいる。
老婆:とある屋敷に住んでいる老婆。本に殉じる形で生涯を終える。
ベイティー:昇火士。モンターグが属する隊の隊長を務める。
フェーバー:学者。今は世の中に絶望し、隠遁生活を送っている。
【読みどころとポイント】
〇クラリスとモンターグの出会い
モンターグは、ある日、不思議な少女、クラリスと出会います。
彼女の顔はこわれやすいミルク色のクリスタルグラスで、やわらかな光をゆるぎなくたたえていた。それは電気のようなヒステリックな光ではなく、ふしぎに落ち着く、見慣れない、やさしく励ますようなロウソクの光だ。
彼女は、テレビスクリーンではなく、自然の中によろこびや感動を見つける、知性、感性が豊かな人物として描かれています。しかし、周囲の人は彼女を奇人、変人扱いをしています。彼女はモンターグに対して、以下のように語りかけます。
わたしが知っていることで、あなたが知らないことがあるわ。朝の草むらを見たら、露がいっぱいたまっていたの。
また、こうも言います。
あなた、幸福?
モンターグはクラリスに衝撃を受けるのでした。なぜなら、彼の周囲には、自然の中に見出したり、幸福について問いかけてくるような人物がいなかったからです。そして、モンターグは、自分の妻、ミルドレッドがさながら麻薬中毒者のようにスクリーンの中のテレビドラマに夢中になっているのを見て、愕然とするのでした。
〇老婆との出会い
ある日のことでした。モンターグはいつも通り、昇火士として、本を所有しているという報告を受け、現場へと急行します。現場に到着すると、広い屋敷があり、中には一人の老婆が住んでいました。隊長のベイティーを先頭に、モンターグたちは老婆の屋敷に入ると、次々に本を屋根裏から放り投げ、本をケロシン(石油)で浸し、火炎放射器で燃やしていきます。
屋敷全体も炎に包まれていきますが、老婆は部屋から動こうとしません。そして、このような言葉を発します。
今日、この日、神のみ恵によって、この英国に聖なるロウソクを灯すのです。二度と火の消えることのないロウソクを。
モンターグは、老婆を助けようとしますが、老婆は一歩も動こうとしませんでした。
老婆はケロシン浸しになり、燃え盛る部屋の中でマッチを取り出し、焼身自殺を遂げるのでした。老婆は本に殉じる形で亡くなったのです。
これまで一度も本など読んだことのなかったモンターグは、老婆が本のために命をかけたことに大きな衝撃を受けます。
そして、次のような考えがモンターグの中に生まれてきます。
「本の中には何かがあるのではないか。命をかけるだけの何かが。」モンターグは昇火士という仕事、本をひたすらに嫌悪する社会の在り方に疑問を抱くようになりました。
モンターグは、老婆の屋敷から隠れて本を持っていき、犯罪行為とされている読書を開始するのでした。
モンターグの心の中に、以下のような心境が芽生えてくるようになります。
「もし、本の中に何かあったら、伝えていけるかもしれない。」
〇ベイティー隊長との会話
老婆の屋敷での出来事に大きな衝撃を受けたモンターグは、翌日、初めて昇火士の仕事を欠勤しました。
そこにベイティー隊長がやってきて、本は害悪であり、昇火士という仕事の意義について述べ、モンターグを諭します。
まず、ベイティーは、メディアの発達の変遷について述べました。
ラジオ、テレビジョン、いろんな媒体が大衆の心をつかんだ。そして、大衆の心をつかむほど中身は単純化された。映画やラジオ、雑誌、本は練り粉で作ったプディングみたいな大味なレベルにまで落ちた。
そして、ベイティーは社会が加速化するに伴い、反射的な思考が求められるようになった時代においては、本がもはや無用の長物に過ぎないということも述べます。
雑誌はバニラタピオカの口当たりのいいブレンド、その一方で、本は皿を洗ったあとの汚れ水となった。
また、本自体の内容も単純化、ダイジェスト化され、人々が自ら考えなくなってしまったとベイティーは続けます。そして、炎で本を焼き払うという昇火士という仕事の役割は、一種のカタルシス、エンターテインメントであるとも言います。
哲学だの社会学だの、物事を関連づけて考えるような、つかみどころのないものは与えてはならない。そんなものをかじったら、待っているのは憂鬱だ。何もかも燃やしてしまえ。火は明るい。火は清潔だ。
ベイティーは、心の平穏のためには、複雑な思考などは害悪であり、我々は人々の心の平穏を守るために本を焼いているのだ、とモンターグに対して繰り返し述べるのです。
〇フェーバー教授との対話
モンターグは、「本の持つ本当の価値」とは何かを教えてもらうために、近所に住んでいる知識人、フェーバー教授のもとを訪れます。
フェーバーは、モンターグに対して、かつて、本を価値あるものにしていた要素について語ります。
1.本質的な情報
2.本をじっくり読むための余暇の時間
3.本から学んで行動すること。
また、モンターグが持参した聖書を見て、次のように語ります。
この本には毛穴がある。目鼻がある。この本を顕微鏡でのぞけば、レンズの下に命が見える。細部を語れ。生き生きとした細部を。すぐれた作家はいくたびも命にふれる。凡庸な作家はさらりと表面をなぞるだけ。
〇ベイティー隊長との対決
再び昇火士として復帰していたモンターグですが、ある日、出動命令が下り、出動すると、到着した現場はなんと自分の家でした。モンターグが本を隠し持っているということがばれてしまったためです。妻、ミルドレッドは、モンターグの心配より、テレビドラマが見れなくなってしまうことに消沈し、車でどこかへ行ってしまいます。ベイティー隊長から命令が下り、モンターグは自分の家を焼き払いました。
その後、逮捕しようとするベイティー隊長と直接対決の時を迎えます。そして、ベイティーとの対決は衝撃的な結末を迎えます。
〇ラスト
ベイティーとの対決後、追われる身となったモンターグは、フェーバーのアドバイスを受け、街はずれの河岸に向かいます。何とか追跡を振り切ったモンターグは、逃亡先で、本を口承している人々の集団と出会います。彼らは街から追放された知識人たちで、プラトンの「共和国」の内容などを暗記し、後世に伝えていこうと考えている人々でした。モンターグは彼らと同じ志を持つものとして、受け入れられます。
そして、衝撃のラストを迎えます。どのようなラストなのか、そして、このラストをどのように考えるか、実際に手にとって読んでいただきたいところです。
感想・考察など
この華氏451度には、スピード化された社会へのアンチテーゼがはっきりと示されていると言えると思います。
作中では、「火」について、面白い対比がなされています。全てを焼き尽くす火炎放射器の火と、周囲をゆっくりと明るく照らしていく、ロウソクの火です。火炎放射機の「火」は、全ての物を灰になるまで焼き尽くす、破壊的な「火」です。一方で、ロウソクは消えそうになっても、別のロウソクに火を灯していくことが可能です。
記録され、後世にまで残される本は、ロウソクのように、時代を超えて人々に影響を及ぼし続けるものであるということが表現されていると思います。
また、作中で登場する、昇火士という職業について、ベイティー隊長が、「人々が自ら本を読むことをやめてしまったため、本当は昇火士という職業などは必要ない。一種のエンターテインメントとして本を燃やしている」といったことを言うシーンがありますが、これが何とも皮肉ですね。
加速化された社会においては、複雑で分かりずらい話などは忌避され、かつ即効性のあるものが評価されます。
テレビを例にとってみると、ワイドショーや報道番組では、より簡潔で分かりやすい内容が好まれます。「今、〇〇が話題沸騰!」「次に流行するのはこれだ!」といったタイトルを何回も目にしたことがあるかと思います。コメンテーターも、短時間の間に歯切れのよいコメントをすることが求められています。
視聴者に対して深い内省を促すような言説は求められていません。
また、学問の世界でも、哲学や文学といった学問を学ぶより、商学や経済学などを学んだ方が「実用的」だ(この、実用的、という意味も極めて曖昧なのですが)、研究費が出ないような基礎研究をやったところで意味がないなどといった言説がしばしばなされているように感じます。
この華氏451度は発刊から70年近く経った今なお新鮮さを失っていません。それどころか、作品の中で描かれているようなディストピアが今まさに迫ってきているようにさえ感じます。レイ・ブラッドベリは作品を通じて、「絶えず思考しよう。何事も一度立ち止まって考えてみよう。知識は記録・保存して伝えていこう」ということを強く訴えかけてきているのではないでしょうか。
「人を動かす」の要約・内容など(D.カーネギー著)
「人を動かす」(D.カーネギー)
今回は、人間関係の古典というべき、D.カーネギーの「人を動かす」を紹介します。
D.カーネギーはミズーリ州の農家の生まれでアメリカにおける成人教育、人間関係研究の先駆者です。ヨーロッパ各地に出張して講演会を開き、会社の顧問としての社員教育の生徒は15000人以上にも及びます。
人間関係について指導を行っていくにあたり、適当なテキストブックがなかったことから、カーネギーは新聞や心理学書、過去の裁判記録、偉人の談話や伝記などを徹底的に調べ上げました。その結実として出来たのが、この「人を動かす」です。
会社員は勿論、主婦や学生にとっても役立つ人間関係において大切な原則が説かれています。具体例がとにかく豊富で、内容も多岐にわたります。偉人だけではなく、サラリーマンの成功例まで記載されております。ぜひ多くの人に手にとっていただきたい書です。
【特徴】
古今東西の教訓、歴史的事実、偉人、一般の人々の行動、非常に豊富な例を用いて人間関係において大切な原則を説いているのが本書です。引用だけでなく、カーネギー自身も踏まえて書かれているのが本書の特徴でもあります。
【内容】
内容を簡単にご紹介したいと思います。
本書は大きく4つのパートに分かれています。
「人を動かす三原則」、「人に好かれる六原則」、「人を説得する十原則」「人を変える9原則」の4つです。
いくつかの原則をご紹介します。
【人を動かす三原則】
①盗人にも五分の理を認める
→人に批判されて納得する人などそうはいない。皆、賞賛を求めている。
例として、凶悪殺人犯のクローレーが紹介されています。
1931年、ニューヨークの凶悪殺人犯、クローレーは何人もの人を殺しておきながら、電気椅子に座る際、「自分の身を守っただけのことで、こんな目に合わされるんだ」と語ったといいます。つまり、クローレーは自分が悪いとは微塵も思っていなかったのです。
凶悪犯のクローレーですら自分の非を認めないのですから、善良な市民については言うまでもありません。この事実は、人に非難を浴びせて反省させることは非常に困難であることを物語っています。
カーネギーは次のように語っています。
「他人のあら探しは何の役にも立たない。相手はすぐさま防御態勢を敷いて何とか自分を正当化しようとするだろう。」
次のような言葉も紹介されています。
「我々は他者からの賞賛を強く望んでいる。そしてそれと同じ強さで他人からの非難を恐れる。」
併せて以下の様なエピソードや言葉が紹介されています。
・T.ルーズベルトとタフトの仲違い
T.ルーズベルトが1908年、大統領の地位をタフトに譲ったとき、タフトの政策は保守的だと世間から批判されました。結果、選挙で共和党が大敗し、ルーズベルトはタフトを責めましたが、タフトは次のように述べたといいます。
「どう考えても、ああする以外に方法はなかった。」
・リンカーンの座右の銘
「人を裁くな。人の裁きをうけるのが嫌なら」
・英の文学者、ドクタージョンソンの言葉
「神様でさえ、人を裁くにはその人の死後までお待ちになる。まして、我々がそれまで待てないはずがない。」
②重要感を持たせる
人を動かす秘訣は、この世に一つしかない、とカーネギーは言います。それは、
「自ら動きたくなる気持ちを起こさせること。」です。そのためには、他者の承認欲求を満たしてあげることが欠かせません。カーネギーによれば、人から認められたい、自己に対する重要感に関する感情は、ディケンズのような小説家から、ディリンジャーの様な犯罪者に至るまで等しくあるものであるといいます。
レ・ミゼラブルの著者、ユーゴーはパリを自分に因んだ名前に変更させようという望みを抱いていたといいます。シェイクスピアは、自分の名に箔をつけるために金を積んで家紋を手に入れたといいます。
併せて以下のような言葉も紹介されております。
・W.ジェイムス(アメリカの哲学者)の言葉
人間の持つ性質のうちで最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持ちである。
・チャールズ・シュワッブ(アメリカの実業家)の言葉
「私には人の熱意を呼び起こす能力がある。これが、私にとっては何物にも代えがたい宝だと思う。他人の長所を伸ばすためにはほめること、励ますことが何よりの方法だ。私は決して人を非難しない。気に入ったことがあれば、惜しみなく賛辞を与える。」
アンドリュー・カーネギー(アメリカの鉄鋼王)
「おのれより賢明な人物を身辺に集める方法を心得し者、ここに眠る」
エマーソン(アメリカの思想家)
「どんな人間でも、何らかの点で私よりも優れている。私の学ぶべきものを持っているという点で」
率直、誠実な評価、惜しみない賛辞が人間関係構築のために非常に重要であるということです。このことは時代が変わっても、国境が変わっても変わらないでしょう。
③人の立場に身をおく
人を説得して何かをやらせようと思えば、口を開く前にまず自分に尋ねてみることだーどうすればそうしたくなる気持ちを相手に起こさせることができるか?
カーネギー曰く、ここで言う、人の立場に身をおく、とはwin-winの関係を模索することであるといいます。
・ヘンリーフォードの言葉
「成功に秘訣というものがあるとすれば、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。」
次に、「人に好かれる六原則」のうち、いくつかご紹介します。
【人に好かれる六原則】
〇誠実な関心を寄せる
相手の関心を惹こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せるほうがあるかに多くの知己が得られる。
面白いことに、カーネギーは、誠実な関心をいつも向けてくれる生き物として、犬を挙げています。犬はいつも飼い主が近づくと尻尾を大きく振って好意を示してくれます。
何か魂胆があってのことではありません。カーネギー曰く、犬はまさに人に好かれる方法を本能的に知っている「達人」なのです。
また、以下のような言葉も併せて紹介されています。
・アドラーの言葉(心理学者)
「他人のことに関心を持たない人は苦難の道を歩まなければならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗はそういう人たちの間から生まれる。」
・バブリアス・シラスの言葉(ローマの詩人)
「我々は、自分に関心を寄せてくれる人々に関心を寄せる。」
〇聞き手に回る
また、会話において、聞き手に回ることの重要性もカーネギーは指摘しています。
相手が喜んで答えるような質問をすることだ。相手自身のことや、得意にしていることを話させるように仕向けるのだ。
〇議論を避ける
カーネギーは「議論に勝つ最善の方法は議論を避けることである」と述べています。
議論でやっつけた時は気持ちよくなっても、やっつけられた方は自尊心を傷つけられ、憤慨し、復讐心を募らせるようになります。
ベンジャミンフランクリンの言葉も紹介されています。
・ベンジャミン・フランクリンの言葉
「議論したり反駁したりしているうちは相手に勝つようなこともあるだろう。しかし、それはむなしい勝利だ。相手の好意は絶対に勝ち得ないのだから。」
【感想など】
世界各国に翻訳され、大ベストセラーとなっている本書は時代が経過しても色あせない名著です。そればかりか、対人関係が多くの人にとって悩みの種となっている現代においては重要性がより増していると言えるかもしれません。
本書を読んでみると、古今東西の成功事例や失敗事例など、事例の多さにまず驚きます。この徹底したリサーチこそが、本書の内容に説得力をもたらしています。
今、世間では論破術といったものが流行っていますが、カーネギーがもし現代に生きていれば、「ナンセンス」であるとして一刀両断したに違いありません。本書によれば、論破する=相手の自尊心を傷つけ、復讐心を抱かせる行為であり、決してwin-winとはならないからです。
個人的には自己啓発書を100冊読むよりもこの「人を動かす」を読むことの方が遥かに価値があると思います。あらゆる年代の方にお勧めしたい一冊です。
アドラー心理学入門(ベスト新書)岸見一郎 の内容・要約など
アドラー心理学入門(岸見一郎著)
フロイト、ユングと並び、世界三大学者の一人に数えられるアドラーは「嫌われる勇気」のベストセラーにより、一躍有名となりました。
その「嫌われる勇気」の著者の岸見一郎さんがアドラー心理学の入門書として書かれたのが本書、「アドラー心理学入門」です。
ギリシア哲学が専門である岸見一郎さんが、ギリシア哲学とアドラー心理学を関連付け、平易な表現で解説しているのが本書最大の特徴です。
【アドラー心理学とは】
本書のテーマ、「アドラー心理学」とは、多くの人が「心理学」と聞いて思い浮かべるような実験・観察に基づいて人間心理を探究していく様な学問とは性質を異にしています。対人関係についての鋭い洞察、個人の劣等感、教育、幸福にまで話が及びます。
全体論、目的論、分割できない個人という意味で、個人心理学とも呼ばれます。(individual psychology)
他者信頼、共同体の一員としての個人、という考えが核にあり、後の心理学、自己啓発に大きな影響を与えました。(デール・カーネギーやスティーブン.R.コビーなど。)
幸福に対して一つの答えをもっているというのがアドラー心理学の特徴の一つで、心理学という枠を超えた奥深さがあります。
【アドラーについて】
アドラーは1870年に6人兄弟の2番目としてウィーン近郊で生まれました。かつてはフロイトとともに活動をしていましたが、学説の対立、研究の方向性の違いなどが影響して袂を分かつことになりました。
幼少期はくる病を患っていて病弱であり、弟はわずか一歳でジフテリアで亡くなりました。アドラーはそのような経験を経て医者になる決意をしたといわれています。
中でも、健康・病気と社会的要因との関係を研究する、社会医学に興味を持ちました。
医者になったアドラーはフロイト研究会に招かれ、ともに活動するようになりました。
しかし、フロイトは研究を重視し、アドラーは診療を重視するというスタンスの違い、
また、フロイトのエディプスコンプレックスなどの理論にアドラーが反発したことなどを原因として、フロイトとアドラーの距離は徐々に離れていくことになります。
第一次世界大戦には軍医として従軍、社会主義への関心を抱いておりましたが、ロシア革命の現実を目の当たりにして、マルクス主義には失望し、アドラーは育児や教育に目を向け、ウィーンに児童相談所を設置し、カウンセリングなどを行うようになります。
第二次世界大戦が始まり、ナチスドイツがユダヤ人への迫害を強めていくと、アドラーはアメリカに亡命し、以後、活動の拠点をアメリカに移しました。
その後、ドライカースという人物がアメリカにおけるアドラー心理学の普及を担うことになりました。
アドラーは多くの人と議論を交わすのが好きで、自分の理論を独占しようとはしなかったといいます。
「私の心理学は全ての人のものだ。」という言葉に表されています。
【育児・教育】
育児と教育はアドラー心理学の中でも中心的な位置づけを占めるものです。
育児、教育に関して、アドラーはかなりはっきりとした目標を掲げています。
一、自立すること
二、社会と調和して暮らすこと
それを支える心理面の目標として、
一、私には能力があるという意識
二、人々は私の仲間であるという意識
行動は信念に基づいていると考えるアドラー心理学では、適切な行動をとるために、
それを支える適切な心理を育てていく必要性を訴えています。
この適切な心理=ライフスタイルと呼んでいます。
この心理は我々が通常パーソナリティ(性格)と呼んでいるものに相当しますが、なぜあえてライフスタイルと呼んでいるのかといえば、変容可能という意味を持たせる意味があるからです。
【アドラー心理学の基本概念】
〇すべての悩みは対人関係
アドラー心理学では、前提として、すべての悩みは対人関係と考えます。もし、世界に自分一人しかいなかったら、悩みというものは生じないのだ、ということを前提とし、よい対人関係をどのように築いていくか、というのがアドラー心理学の中心テーマです。
〇目的論
アドラー心理学は原因論ではなく、目的論的なものの見方をしていく点が特徴です。
人間が過去に縛られてしまう理由は、そうあることを自分で選択した結果であるといいます。人間は同じ経験をしても同じように解釈をする訳ではありません。経験への意味付けは人によって異なります。
挑戦しない理由として、過去の経験を持ち出すことがあるかもしれません。また、アドラーは、あらゆる子どもの問題行動は、大人たちの注意を引こうとして行われるといいます。
この目的論を通して世の中を見ると、あらゆるものを環境のせいにはできなくなります。強い抑うつやPTSDなどの治療は原因論的に考えられています。精神的な病の原因は過去〇〇のようなことがあったからだ、というような分析をしていく訳です。しかし、これは人がどのような場面においても選択しうるということを見逃している、とアドラーはいいます。人は単に外界の事象に反応するだけのものではなく、主体的に世界を解釈しているといるというのが、アドラー的な人間観なのです。
ここがギリシア哲学を研究している岸見さんならではの視点ですが、このような目的論の考えは古代ギリシアにおいても存在していた考えであるといいます。
古代ギリシア哲学者の巨人、アリストテレスは物体を存在せしめている要因について、かなり細かい分析を行いました。
例えば、木製のテーブルがあったとします。アリストテレスは物体を存在せしめている要因として、4つの要因を考えました。
一、質料因(その物体が何でできているか)
テーブルの質料因は、木、釘ということになります。
二、形相因(その物体であるための本質的な構造)
テーブルの形相因は、四つの脚があり、背もたれがある、ということになります。
三、動力因(その物体の存在を引き起こしたもの)
テーブルの動力因は、木材を適切な大きさに削り、ハンマーなどを用いて組み立てる、ということになります。
四、目的因(その物体の存在目的)
人が座って作業を行うことといったことがテーブルが存在する目的となります。
目的論は「目的因」に相当するものですが、アドラーは人間の心理や感情について、目的に着目する形で考え、カウンセリングの場で応用していきました。
感情や心、ライフスタイルなどに個人が支配されるのではなく、個人が何らかの目的で使う、と考えました。
〇劣等コンプレックス
アドラーといえば、劣等感やトラウマに関する洞察が有名です。通常のカウンセリングでは、個人の劣等感やトラウマの原因となった経験は何か、ということを深堀りしていきますが、アドラーはそのように原因を探るアプローチは採用しませんでした。
アドラーは、○○だから○○できない、という様な心のありようを「劣等コンプレックス」と呼びました。コンプレックスとは、倒錯した感情のことを指します。一方で劣等感それ自体は人間の正常な心のありようとして、否定していません。
劣等感も、「今の自分から成長しよう」という様な正常な方向性で用いられれば、プラスとなりうる、と指摘しています。
しかし、アドラーは○○だから○○できない、という心は単なる劣等感ではなく、一種のコンプレックスであるとしました。
また、人生の課題から逃れるためにトラウマを用いることを「人生の嘘」であると厳しい言葉を用いて退けました。
どのようなショッキングな過去の出来事も、それ自体が必ずトラウマを引き起こすということはできません。どのような過去があっても、人間は課題に立ち向かっていける存在であるということをアドラーは説いたのです。
〇課題の分離
アドラー心理学の基本理念の中に、自分と他者の課題を明確に分離する、という「課題の分離」があります。あらゆる人間関係の軋轢は、他者の課題に土足で踏み込むことに起因するというアドラー心理学ならではの概念です。
例えば、アドラーは子どもの進路に親が過度な干渉をするといったことを批判します。
その課題について、「最終的な責任を引き受けるもの」はだれかを考え、「最終的な責任を引き受けない者」が過度な干渉をすべきではないと考えます。
課題の分離は複雑に絡み合った人間関係を解きほぐし、風通しのよいものにするために有用な考え方です。
〇共同体感覚
自分が、世界、国家、地域コミュニティ、自然、あらゆるものと合一しているような感覚を共同体感覚といいます。
この共同体感覚を育むためには、ありのままの自分を認める自己受容、他者を信頼する他者信頼、積極的に社会に関わっていく他者貢献が欠かせないといいます。
そして、この共同体感覚を育むことがアドラー心理学のゴールであるとされています。
【感想・考察】
岸見一郎さんの専門のギリシア哲学とアドラー心理学とを融合しているのが本書の大きな特徴です。岸見一郎さんがアドラー心理学の研究を行うようになった経緯は本書にも記載されていますが、ドライカース氏によるアドラー心理学に関する講演を聞いたことがきっかけだそうです。
哲学者として幸福に関する洞察をしてきた岸見一郎さんは、「今まで自分は幸福について研究してきたが、自分は幸福ではなかったのかもしれない」ということに思い至り、アドラー心理学についての研究をスタートさせたと記載されています。
「嫌われる勇気」のロングセラーにより、アドラー心理学は一世を風靡した感もあります。書店に行くとアドラー心理学の関連書籍をよく目にするようになりました。その中にはアドラー心理学を活用して「理想の子どもに育てる」「理想の部下に育成する」といった、本来のアドラーの教えとは異なる内容のものも少なくありません。
本書を読むとわかりますが、アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、「自分が変わるため」の心理学なのです。
当然、耳障りのよい話ばかりではなく、厳しい話も多いです。何しろ、アドラー心理学によれば、あらゆる言い訳や過去や境遇のせいにすることが「人生の嘘」として断じられてしまう訳ですから。しかし、ポジティブな解釈をすれば、「過去など関係ない、人は今この瞬間から幸福になることができる」という力強く、希望に満ちた思想でもあります。
SNS全盛期の今、人々の承認欲求は益々強くなる傾向にあると思います。しかし、アドラーが現代に生きていたら、こうした状況を見て、「自分を必要以上に際立たせることは問題行動と変わらない」と言ったに違いありません。自分のことを認めることには必ずしも他者は必要としないのです。
アドラーが現代においてブームになったのは単なる偶然ではないと思います。それだけ、複雑な人間関係に悩む人が増えているからこそ、アドラーの対人関係に関する深い洞察が人々を惹きつけているのでしょう。
斜陽(太宰治)の内容・感想など
斜陽(太宰治)
斜陽は太宰治の作品の中でも有名で、大ヒットとなった作品です。
衰退していくものたちを指す、「斜陽族」という言葉が生まれたのもこの小説による影響です。
小説のテーマは「貴族の没落」です。明治時代は急速な西洋化により、人々の生活様式、価値観なども急激に変わっていった時代であったと思われます。そのような時代にあっては、財閥などが台頭してくる一方、産業化から取り残された地方の有力者などの力は徐々に衰退していったことが予想されます。
太宰治の書いた「斜陽」は当時はリアリティのある題材であったと思われます。
斜陽の見事な点は「没落貴族」という題材にも関わらず、悲壮感をあまり感じさせないところです。文章は美しく、むしろ「滅びゆく美」を感じさせるところに最大の魅力があります、「滅びゆく美」を意識して書かれた斜陽からは日本的な美を感じられます。
〇内容
日本にもかつて存在した階級制度に守られ、豊かな生活を教授してきた一家族が父の死、時代の移り変わりによって没落していく。
登場人物・・・かず子(主人公)、母、直治(かず子の弟)
【あらすじ】
東京に暮らしていた母とかず子は徐々に生活が苦しくなっていき、伯父から紹介された伊豆の山荘に移り住む。母も病気がちになり、かず子は母の看病を行うとともに、慣れない畑仕事にも従事するなどして何とか生活を維持していた。
一方、直治は都会で阿片中毒に陥り、享楽的な日々を送り、巨額の借金も抱えていた。直治も伊豆の山荘へとやってきて借金を押しつけるようになり、家庭内は荒れていく。
かず子は精神的にも疲労していくが、かつて直原が取りまきをしていた妻子持ちの上原二郎という作家のことを思い出し、彼に情熱的な手紙を書くようになる。やがて、かず子は上原二郎の子どもを生むことを自身の「革命」と位置づけて決意をする。
母が病気をこじらせて美しい生涯を終えた後、かず子は「革命開始」を決意して東京にいる上原のもとを訪れる。荒れた生活をしていた上原にかず子は幻滅しつつも、子どもを身ごもることになる。
その頃、直治は都会から踊り子を伊豆の山荘へと連れ帰り、遺書をしたため、一人自害を遂げた。
かず子は伊豆の山荘に帰り、直治の死を知る。そして、かず子は直治という時代の犠牲者の事を思いながら生きていくこと、古い道徳と闘い、自分の子どもとともに時代を生き抜く決意をするのであった。
◯ポイント
・最後の貴婦人、「母」の描写
本書では母がまさに「最後の貴婦人」として描かれ、母の言動に貴婦人としての高貴さが現れています。母の描写は作品全体に明るい印象を与えています。
お母さまは、何事もなかったように、またひらりと一ざじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。
直治もまた、「ママにはかなわねえところがある。」という程、母の振る舞いが洗練されていることが読み取れます。
骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母様は、平気でひょいと指先のところで骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。
こうした描写が作品全体に華を与えています。
・かず子の生き方
貴族の娘として不自由のない生活を送ってきたかず子は、時代に翻弄されるようになります。新しい環境で生きていく決意をしたかず子でしたが、最終的に行き着く先は「愛人との間に私生児を産むこと」でした。
上原への想いが溢れたかず子の手紙もまた、本書魅力の一つです。
お手紙、書こうか、どうしようか、ずいぶん迷っていました。けれども、けさ、鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ、というイエスの言葉をふと思い出し、奇妙に元気が出て、お手紙を差し上げるようにしました。
もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行ってください。私ひとりの力では、とても消すことができないのです。とにかく、逢ったら、逢ったら、私が助かります。万葉や源氏物語のころだったら、私の申し上げているようなこと、何でもないことでしたのに。あなたの愛妾になって、あなたの子供の母になること。
また、かず子は上原のことをM.C(マイ.チェーホフ)と読んで慕っていました。チェーホフといえば、代表作の「桜の園」をはじめとして、数々の
優れた小説を残したロシアを代表する作家です。
貴族として生きてきたかず子が、家庭のある男の子どもを生み育てることに生きていく道を見出していくのは、なかなかに衝撃的です。現代でもそうですが、とりわけ明治時代では不倫などへの道徳的バッシングが強かった事は想像に難くありません。
そう言った意味で、かず子は同時代の道徳的価値観に挑戦状を叩きつけたと言っても良いと思います。
・直治の生き方
直治は貴族の生まれですが、酒に女に博打に溺れ、多額の借金を作る堕落した生活を送るようになってしまいました。
しかし、直治にもそうならざるを得ないだけの理由があったのです。それが、直治の遺書で綴られています。
直治は高等学校へ入ると、今まで自分が育った階級とは全く違う階級の友人とも付き合うようになりました。そこで、友人たちに合わせるために無理に下品な言葉を使ったり、阿片を使ったりするようになったのです。
僕は下品になりました。下品な言葉づかいをするようになりました。けれども、それは半分は、いや六十パーセントは哀れな付け焼き刃でした。へたな小細工でした。民衆にとって、僕はやはり、キザったらしく乙にすました気づまりの男でした。彼らは僕としんから打ち解けて遊んでくれはしないのです。
直治の遺書からは、民衆に馴染みたくても馴染めなかった直治の精神的な苦悩が伺えます。
直治もまた、かず子と同様、時代に翻弄された犠牲者と言えます。
そして、遺書の結びは「姉さん。僕は、貴族です。」でした。
◯おわりに
この斜陽という小説は、「滅びゆく美」という極めて日本的な美をテーマにした小説です。
没落貴族の一家の3人からは三者三様の生き方が見てとれます。
最後まで貴族として生きた母、時代に抗い、強く生きていく決意をしたかず子、時代に同調しきれなかった直治。
太宰治のたぐいまれな文章力で、それぞれの生き方がありありと伝わってくる名著です。
気になった方は是非読んでみてください!
脳にいいことだけをやりなさい(マーシー・シャイモフ 茂木健一郎訳)知的生き方文庫
脳にいいことだけをやりなさい(マーシー・シャイモフ 茂木健一郎訳)
何気なく手にとってみた一冊ですが、とても良い本だったので、おすすめしたいと思います。タイトルからすると、脳科学の本かなと思ってしまうと思いますが、どちらかと言えば、ポジティブ心理学や幸福についての本です。(脳のメカニズムを知りたいという人が読むと、ちょっと面食らうかもしれません。)
原題はHappy for no reason(訳もなく幸せ)です。
しかし、幸福になるためには、脳に良いことを実践していく必要があると書かれていますので、若干脳科学的な事の勉強にもなると思います。
【どんな本?】
本当の幸福「お金や地位」を得ることでは得られない。日々の習慣を変えていくことが幸福につながる、ということを前提に、脳によい習慣がたくさん紹介されています。
【内容】
著者のマーシーさんはポジティブ心理学をメインに様々な場所で講演活動を行ってきた人物です。彼女が出会った人のうち、幸福な100人は7つの脳によいことを実践していたと言います。
1.ネガティブ思考の大そうじ
2.プラス思考で脳にポジティブな回路をつくる
3.何事にも「愛情表現」を忘れない。
4.全身の細胞から健康になる
5.瞑想などで脳を人智を超えた大いなる力につなげる
6.目標を持ち、脳に眠る才能を開拓する。
7.つき合う人を選んで脳にいい刺激を与える。
また、前提となる法則として、以下の3つの法則を挙げています。
①拡大の法則
エネルギーが拡大する思考・行動を選ぶ。
→背筋を張り、胸を張り、腕を広げ、大きく深呼吸する。
ー「自由」「喜び」「明るさ」「広がり」を意識する。
②支援の法則
あらゆるものが自分を援助してくれる。
人生に間違いというものはない。必ず失敗から何か学べる。苦難に陥っても、きっと誰かが、何かが自分を助けてくれる。
好きなものー磁石に吸い寄せられるように、自分に集まってくる。
ネガティブ思考をなくし、ポジティブ思考を身につけるために
ネガティブ思考をなくし、ポジティブ思考をなくすためのメソッドとして、様々なものが紹介されています。
〇自らの思い込みをなくす
たとえば、「私は~に嫌われている」という考えが浮かんできたら・・自分自身にこう問いかけてみる。
①それは真実か?
②それが真実だと言い切れるか?(根拠は?)
③それを信じているとき自分はどのように感じるか?
④それを信じなければどのような気分になるか。
客観的に分析しているうち、思考がクリアになっていき、思い込みから解放されていきます。
〇前向きになれるものを意識して探す
人間は、普段から考えているものは意識せずとも見つけることが出来るようになります。これは、脳の網様賦活系という働きによるものです。
うれしいこと、楽しいことを意識して見つけるようにすることで、意識せずとも見つけることが出来るようになります。
〇脳が喜ぶことを行う
人・もの・出来事に感謝する。
例えば、感謝の日記を毎日つけることで、幸福度は上がっていくといいます。
毎日テーマを決めるのも有効だといいます。例えば、テーマは太陽にする、水にする、などと決めることで、ネタ切れも防げるかもしれません。
心身ともに健康になるために
〇栄養
水をたくさん摂る、カフェインを減らす・・
〇深呼吸
腹式で行う。その時、「私の毎日が幸せでありますように」「世の中のすべての人も幸せでありますように」と念じる。
〇一日15分瞑想する
瞑想により前頭前野が発達するとの研究結果があります。前頭前野の働きにより、興奮や不安、恐怖の感情を生み出す脳の扁桃体の働きをある程度抑制することができるようになります。
〇情熱の傾け先を探す
時間を忘れるくらい何かに熱中していた経験はありませんか?心理学者のチクセントミハイはそのような体験のことを「フロー体験」と名付けました。
「フロー」の状態の時には余計な事は全く考えません。何かに熱中している時にはネガティブな考えはどこかへ行ってしまいます。まずはそのような自分が熱中できるものを探すことが重要だといいます。
【おわりに】
上記の他にも、脳によい習慣、実践した人の体験談なども紹介されています。「幸福論」というと抽象的な響きがありますが、本書は脳に良い習慣を実践していくことこそ幸福につながる、という明確なコンセプトがあるため、内容も具体的で実践しやすいものとなっています。
普段「何となく」ネガティブな思考に陥ってしまう人は多いのではないでしょうか。私も負の思考スパイラルに陥ってしまうことはよくあります。
先天的なパーソナリティーも多少はあるのかもしれませんが、環境によるストレスが思考をネガティブに陥らせてしまっている面は否めないと思います。
職場での人間関係や運動する機会の減少など、現代社会はストレス因子を多分に孕んでいます。
また、コロナ禍でネガティブなニュースが多く、人との接触機会が減っていることも大きく影響していると思います。
このような中、今の自分の思考がどうなっているか、心身の状態はどうなのか、など自分自身を見つめ直してみること、内なる声に耳を傾けてみることはとても大切なことだと思います。
よく、資本主義社会では、「これを買えば幸せになれる」というような広告をよく目にします。しかし、実際それを手に入れたら多くの場合、「もっと」思考に陥ります。
真の幸福は、このような、「ドーパミン的」幸福ではないとしているのが本書の立場です。本書に書かれているような習慣は消費を前提としていません。したがって、幸福になりたいけどお金はかけたくないという方には非常にお勧めです(笑)。
明日から実践してみたくなるような「脳によい事」がたくさん書かれている良書です。